亜哉の2006年12月の「写真日記」
亜哉が撮った12月分の「写真日記」をまとめたページです。
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PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「千の風に乗って」        仙台光のページェント 〜

31.Dec..2006
 今年最後の1コマは、仙台・光のページェント・・定禅寺通りのケヤキ並木に取り付けられた豆電球・・・、人・人・人、車の洪水の如く・・携帯・コンデジ・一眼レフ・ハッセル・リンホフ、カメラも洪水の如く・・。 救われたのは、怒鳴り散らす大砲オヤジがいなかったこと・・大判は、最後部から常に撮っていたようだ・・ハッセル使いも、静かにシャッターを切っていた・・人それぞれの光のページェント・・期間中、最後のページェント。
 1/15 F10は、辛かった。三脚は手が、かじかんで引っ張り出す気にならかった。三脚にもテーピングしておけば良かったなぁ・・写るんです、ないとあんどでぃどう写っているかな・・・今、生きている人、今年亡くなった人、電球ひとつづつが人の命の灯火に見えてくる。今年も、終わっちゃうね。そんなことが、脳裏に浮かんでは消える・・寒いなぁ。手ぶれ補正あったらいいかな・・買おうかなぁ、やめとくか・・爆
 この点像・・これがLEDなら、やはり来年はパスだなぁ。こんな豆電球もいいかな。でもケヤキさん、ごめんね。君たちも生きているんだね。ちょいといい感じ、でもちょいとかわいそう。 

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「笹野観音」          ホタルオフにて 〜

30.Dec..2006
 3日間続いた強風で昨日の泊まりも、どうなることやら・・と思ったら、何とか通常通りの作業で、今年の清掃に関わる仕事は終わり、明日の構内運転で今年の仕事は終わります。
 元日休んで、2日から仕事、大晦日と元日休みは、29年間、鉄の世界で飯喰ってから、1回だけでした・・・ま、そんなんだから、多少、仕事が変わっても、まぁ、こんなものかなで笑らっていられます。
 正月も、あれっ、車がやけにすくないなぁ・・あっ、正月なんだ〜なんていう、とぼけた話も必ず、鉄関係の職場のどこかでは聞こえてくる話です。
 今年も残すところ・・カウントダウン、来年こそは、良い年でありますように・・・明日一日で、今年も終わりだぁ〜、ベージェントも明日で終わりだぁ〜、今日は、床屋行っておわりかも・・・笑。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「今年も残すところ」          京都オフにて 〜

28.Dec..2006
 今年も残すところ後何日・・・と思っていたら、いつの間にか、巷では「御用納め」・・・国分町へ行ってみたら・・すごい人出でありました。
 光のページェントも31日で終わって、いよいよ新年ですね。クリスマスの電飾があった公園も、ただ薄暗い公園になっていました。若いカップルよりも忘年会へのOLの姿が目に付きました。
 今年は、7月の小野川ホタルオフ、MAさんとHOTEIさんと行った細倉オフ、そして今月初めの京都オフ・・そして、例のフジカラーのキャンペーンで終わりそうです。フジフィルムから・・1本では足りない方は、ご自分で購入してIDを貼り付けて送って下さいとのこと・・・足りないんじゃなくて、思うように撮れなかったのでは・・・と思うのですが、私も、買ってしまった一人です・・・爆。
 今年の私の、最後は、この写るんです・・ないとあんどでぃで終わっちゃうんでしょうね。31日まで、また光のページェントに行ってみますが・・今度は、国分町には寄らないで、帰ってきたいと思います。

EOS-1N /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



〜 「塀がさ」          丹波口界隈 〜

27.Dec..2006
 「塀がさ」とは、仙台弁で言う「塀」のことですが、板塀、ブロック塀、レンガ塀・・みんな(「全て」という意)へいがさ・・・笑。
 この「塀がさ」下の方は、長手積み、波トタンの下の部分が、イギリス積み、ちょっと、変化をつけている「塀がさ」なのです。持ち主は、缶詰やさんのようです。丹波といえば、缶詰加工品の松茸も有名ですが、静かな住宅街のなかにありました。
 この「塀がさ」のそばに、黄色の実をつけた木がありました。夏みかんくらいの大きさでしょうか。なんの実なんでしょう・・そんな会話をしていた京の1コマでした。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「高瀬川」          三条界隈 〜

26.Dec..2006
 伏見の十石船の通る宇治川派流へ続く高瀬川・・深さは、ものすご〜〜く浅く、今では、当時の平田舟でも底がつっかえるような感じですが、立派な水運用の運河なのであります。
 ここは、こんな写真じゃなくて、すごく風情のあるところなのですが、夕闇迫り、アルコールも切れて←大ウソ・・、川向かいには、洒落た店があって、なかなかいいですね。新旧のお店もあって・・なぜ、全体的な街をとらなかったんだろう?自分でもわかりません・・トホホホ

PENTAX SUPER A /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6
/PRESTO /D76



〜 「ホテルを曲がって」          四条界隈 〜

25.Dec..2006
 ペンタックススーパーAにPentax-DA 18-55mm F3.5-5.6イスト用のズームを付けて遊んでみた、18mmは、ケラれてしまった・・爆。
 遊びといえば、フジフィルムの写るんです20周年記念イベント・・夜景マップをつくろうが、行われている。
 私の番号は、299・残り一人と言うところで「写るんです」が送られてきた。23日に1年ぶりの国分町に行ったついでに、光のページェントを写してみた・・・もちろん、酔っぱらっていて、今朝、フィルムカウンターを見たら全コマ写していた・・・爆。
 スーパー夜景モードがあって、ストロボスイッチを入れて、ちょっとひねってやると、このモードになるようだが、さて、酔っぱらいがこのカメラをどう使ったかは記憶がない・・・がっはっはっ。フジフィルムさんごめんなさい。
 このまま送るか、もう一台買って、まともに使ってあげないと悪いかな?と思うが、酔っぱらってちょっと撮ろうか・・というユーザーもいるかもしれない・・ということで、このまま送ってみたい・・・。
 公序良俗に反するものは写っていないとおもうので・・がっはは。

EOS-1N /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



〜 「手桶」             島原大門 〜

24.Dec..2006
 クリスマスイヴ・・仙台の街中は、光のページェントでカップルや家族連れで賑わっています。男女の関係といえば、ここはそのものです。
 島原大門の脇にある手桶・・桶はもちろん当時のモノではないにしろ、石造りの水槽は、古い物であります。でも、この手桶、門の表側入口側に現在は置かれています。
 この手桶、火災の時でも大門が閉まるため、この手桶に水を汲んで身体にかけて火災から身を守るために置かれているモノなのです。当然、本来は、表側ではなく、裏側、遊郭側にあるべきものなのです。
 島原の大門が焼失したとき、この手桶の水が使われたかどうかはわかりませんが、ちょっと胸が痛くなりました。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「島原大門」       旧・島原遊郭 〜

23.Dec..2006
 角屋、輪違屋などに圧倒されながらも、寛永時代に火災による焼失後に再建された高麗門です。再建といっても、1867年ですから、139年前に建てられたもの・・・凄すぎますね。
 こちら側が、遊郭の内方になります。遊んで出ていくときはこの門がこういうふうに見えるんですね。驚くのは、この門を車も通るんですよ。高さ制限は、もちろんありますけど・・・文化財の門の下を車が通る・・・ちょっと考えられませんが、なんせ花街、出入り口は、この大門と西門跡のみ。
 かつての遊女達は、この門から入っても、なかなか出ることは出来なかったんでしょうね。火災がおきたら大門の扉は閉じられるので、門の前は、炎と煙にまかれた遊女達の阿鼻叫喚の地獄絵図だったのかもわかりません。

EOS-1N /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



〜 「静かなるロッド」       梅小路蒸気機関車館  〜

22.Dec..2006
 各ロッドがせわしなく往復・回転運動をしながら動輪に命を吹き込む・・・SLで一番メカニカルなところであります。
 かつては、お召機としてこの機関車が使われたことが、デフ板の鳳凰とランボード上の手すりでわかる。
 初めて、ここに行ったのが18の頃だから、ん10年ぶりの再訪であった。それでも、静態保存機でもメンテナンスはされていて、除籍されている機関車でも、今でも動き出すような手入れがされている。
 SLたちに囲まれて機関車磨きの方がいいかな?とも思ってしまった・・笑。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「旧・島原西門」            旧・島原遊郭  〜

21.Dec..2006
 旧・島原遊郭には、角屋・輪違屋・島原大門が残っている。かつてこの場所に西門が建っていたという。西門の脇には、島原住吉神社がある。
 島原の遊女達も、「ここから出られますように」(MADAM氏・談)と参拝していたとか・・。
 京の町には、女性が似合う・・と書いた。ここは島原西門跡。。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「陽だまり」            中書島界隈  〜

19.Dec..2006
 中書島を歩いて、三条方面へ移動する・・陽差しは、夕方の光に変わってきている。
 ガイド板が設置されている。かつての中書島駅界隈のことが書いてあるのだろうか?二人の女の子が少し寒そうに日だまりの中に立っていた。冬の京の1コマだった。

EOS-1N /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



〜 「休憩」        中書島界隈  〜

18.Dec..2006
 黄桜カッパカントリー、中書島界隈を歩いて、ちょっと休もうか・・というときには、ありがた〜い場所です。
 小さなグラスでお酒も飲める・・抹茶ソフト・・抹茶は苦手、でも甘すぎるのも苦手なら、抹茶ミックスソフトがお薦め。
 タバコも吸えるし、おみやげのお酒も買える・・なにより、あの♪カッパッパー黄桜のミュージアムもあり、楽しめる。子供の時に、ちょっと恥ずかしかったCMも今見ると、ホンワカムード、原画が欲しくなってくる。色っぽいんだけどもいやらしさがない・・爽やかな感じがする。
 ところで、私は、黄桜飲んだことあるかな・・・遠い昔に、飲んだような記憶が・・・やっぱり棚買いまではしなくても、1本買っておけばよかったかな・・・笑。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「時は流れて」        中書島界隈  〜

17.Dec..2006
 ありがちな1カットです。角部屋のところの行燈でありますが、どうやら、このあたりの部屋が坂本龍馬の部屋だった「梅の間」のようです。 通りに目配りが出来て、何かあれば、どちら側へも脱出可能・・そんな理由なのでしょう。
 この寺田屋、船宿のひとつで、十石舟からも見えました。龍馬が、薩摩藩に救出されるときも、薩摩藩では舟を出しましたが、今では、船宿というイメージは湧いてきません。ただ枯れた木材に歴史の重みが重なってきます。
 それでも、よく見れば、電線、電話線が見えます。それでも違和感が少ないのは、建物自体の時の流れの重みなのかもしれません。

EOS-1N /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



〜 「旅篭 寺田屋」        中書島界隈  〜

16.Dec..2006
 三栖閘門の方に惹かれて、中書島界隈がすっぽり抜けてしまい。旧・島原遊郭に魅せられて、三条通りも・・MADAMさんのUPで、ここがそうなんだぁ〜なんて、思い出したり・・・、で、一日目に戻ります。 「中書島」(ちゅうしょじま)ですが、現在は、島はありませんが、かつての水郷地帯で埋め立てられたり暗渠になっているところもあるそうです。
 十石船が行き来した旧・伏見港、当時の造船所跡もあるようですが、どこどこ・・・と思っていたら通り過ぎてしまいました・・笑。
 「史跡寺田屋」の石柱が立っています。薩摩藩の内紛による藩士9名惨殺事件の寺田屋騒動、坂本龍馬襲撃の2つの事件があったところですが、東北との関わりは、京都守護職・松平容保あたりからになってきます。松平容保は、白虎隊で有名な会津藩・藩主であり、当時の仙台藩は、奥羽列藩同盟を結んでいましたから、幕末の戊辰戦争史をたどっていくと、京の街は、やはり東北人から見ても特別の意味があるのでございます。そして東北は、賊軍の汚名と共に明治維新を迎えるのですが、その汚名は後々も引きずっていくのでした。 

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「鍾馗さん」        旧・島原  〜

15.Dec..2006
 庇の上に、ちいさな鍾馗さんが、のっている。沖縄ならばシーサーということになるのかもしれないが、京の街には、鍾馗さん。
 古い町屋に限ってもいないようで、ここの瓦は新しいが、いろんな鍾馗さんがいる。魔よけ、疫病よけの意味があるそうな。やはり望遠が欲しいなぁ〜。単焦点なんて言ってないで、ズーム1本持っていけばいいのかもしれないなぁ〜・・笑。
 この鍾馗さん、ちょっとおすまし顔、怖い顔や動物的な顔もある。鍾馗さんウォッチングもなかなかおもしろいかも・・。
 今日と明日は、会津へでかける。いよいよ、京の都で入手したコニカの試写。でも、外は寒そうだし、ラーメンだけで、出かけるのもねぇ?酒蔵でも訪ねてみようか?それともゴロ寝?・・笑。 

PENTAX SUPER A /M-28mm F2.8 /PRESTO /D76



〜 「島原・輪違屋」        旧・島原遊郭  〜

14.Dec..2006
 細い小路に、大きな行燈が目に入る。2階部の、ひさし回りは、さながら竹槍だらけといった感じがしました。
 これじゃ、屋根づたいに、逃げることも、入ることもできないし・・といっても、この写真では、影だらけで・・・・涙。
 でも、逆に、生々しさが見え隠れするかも・・と思って・・撮ったのですが・・やっぱり、行燈が建物の割には大きいことがわかるかな?といった程度で、やっぱり、すっきりしません・・・結局失敗だぁ〜。 

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「お茶屋さん」        島原・輪違屋  〜

13.Dec..2006
 旧・島原遊郭の中で、現在も「揚屋」「置屋」として太夫を抱えて営業している「輪違屋」(わちがいや)さんであります。現役なんだぁ〜。 入口には、「観覧謝絶」と書いてある・・現役だから、しかたないですね。でも、現役故に、お客として利用するのは可能・・しかし「一見さんおことわり」でハードルは高い。
 創業元禄年間、建物は、置屋形式で重要文化財指定です。振り袖太夫と5人の太夫を抱えている置屋(大規模なお茶屋)さんということになります・・・が、防売法以前の「置屋」の頃は「養花楼」(ようかろう)という遊郭で、「輪違屋」の屋号は、お茶屋になってからのものだそうです。
 新撰組の平間重助と糸里、伊東甲子太郎と花香太夫は、置屋当時のここの女達でありました。

PENTAX SUPER A /M-28mm F2.8 /PRESTO /D76



〜 「遊郭をゆく」        京都府 旧・島原遊郭  〜

11.Dec..2006
 JR丹波口駅の近くに旧・島原遊郭があった。天明7年には現在の規模になったという「揚屋」(あげや)が重要文化財として今も保存がされています。
 揚屋は、今で言う料亭にあたるということですが、この「角屋」(すみや)は、当時のサロン的役割もはたしていたということで、幕末には、勤王・佐幕派の会合場所としてもつかわれたそうです。
 太夫や芸妓を抱えず、置屋から太夫などを派遣してもらい歌舞音曲を伴う遊宴によりお客を歓待するところであったそうです。

PENTAX SUPER A /M-28mm F2.8 /PRESTO /D76



〜 「京をゆく」             京都府  〜

10.Dec..2006
 京の街は、地図上で見るとわかりやすい・・・と言われているが、あくまで、北がどっちで、西がどっちと・・わかっていればの話である。
 私は、方向音痴・・・、こっちが、西かと思えば、うんにゃ〜東だよ〜。更に、道路、鉄道、地下鉄が走っている。地名の呼び名も、ピンとこない。まだまだ、一人では、歩けない京の街。
 狭い小路に少女が歩いてきた。京の街には、女性が似合うような気がする。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「鉄とコンクリート」        三栖閘門 閘室 〜

09.Dec..2006
 閘室は、ラルゼン型鋼矢板で、壁がつくられ、更に角材で、舟との直接の接触をさけています。その上にコンクリートで覆いがされています。
 堤防の土留め工事で、よく見かける交互に上から打ち込んでいる鋼材で閘室の壁がつくってあるのと同じですね。
 閘室の角は、やはり自然石です。舟が接触しても、閘室も舟も甚大なダメージがでないような工夫ですね。石井閘門が出来たのが明治、三栖閘門は、昭和初期ですから、建築資材も赤煉瓦からコンクリート変わっています。資材にも時の流れを感じられます。落ち葉が静かに水面に漂っていた静かな日でした。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「MISU KOMON」        京都 伏見区 〜

08.Dec..2006
 MISS KOMON・・・MISU KOMON・・三栖閘門であります・・がっかりしないでね。十石船のガイドのおじさんが、さて、なんて案内したか・・MISU−NO−KOMONといったんですね。うまい!!納得。
 閘門なんて、普通の人は知らないですよね。水門ではないしね。KOMONといえば、やっぱり肛門だもんね〜。ミス肛門・・こうは、誤解されたくありませんよね。
 MADAMさんが、詳しくキャプションつけてUPされていますので、ゲートのUPを・・笑。
 石巻の石井閘門のゲートは、観音開きのマイターゲートと呼ばれるゲートでしたが、こちらのは、ストーニーゲートと呼ばれています。福島県猪苗代にある猪苗代湖の可動取水堰「十六橋」と同じ仕組みです。普通は、扉にローラーがついているローラーゲートなのですが、三栖閘門のゲートが使われているのは全国的にも少ないです。
 さて、閘室への注・排水は、どうなってんだべ〜であります。資料館のおねぇちゃんに聞いたら、ゲートより下の部分に注排水口があって、制水弁のようなもので、閉じたり開いたりで、閘室の水位を調整するそうです。水は高い方から低い方へ流れる・・昔の人の知恵ですね。
 この機能だけは、今でも生かしているとのことです。宇治川の上流にダムができて宇治川への航行はできませんし、三栖閘門も産業遺構になっていますが、排水口をあけることによって治水に利用しているようです。

EOS-1N /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



〜 「舟がゆく」        京都 伏見区 〜

06.Dec..2006
 月桂冠大倉記念館の脇の弁天橋のたもとから、十石舟に乗る。宇治川派流から、濠川に合流、宇治川との合流点までのコースです。途中、旧・伏見港の中を進みますが、気持ちいいくらい静かでゆったりしています。
 きれいなおねぇさん(Miss Komonではありませんよ)から乗船券を求めると、小さな月桂冠のミニカップか菓子がおみやげなので、選んでと言われる・・もちろん私は、お酒〜。
 ここでも、MADAMさんが舟の出る時刻を聞きに行ったり、料金を聞いてきたり・・大忙し。
 で、さっそく乗船、前にすわっているおっちゃんは、ガイド兼見張りの役目、冬場なので、透明アクリル板が四方に貼ってあり最前部と最後部一番前の左右席のみが切れ目があるので写真を撮るにはいいようです。行きは遠慮がちに、帰りは、最前部でパシャパシャ・・笑

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「酒蔵をゆく」        京都 伏見区 〜

04.Dec..2006
 仙台から京都、遠いようだが行ってみると以外と近いと感じる。仙台空港から伊丹へ空路で1時間ちょい、伊丹から京都駅南口までは、リムジンバスで約1時間弱、前回は、フェアリンク(現在のアイベックス)が一番早く行けて、最終便で帰って来れたが、今回は、ANAしかなかった・・JALもあったが、一応パス・・笑。
 仙台空港に着いたら、なんと整備個所が見つかったということで、25分遅れて出発、伊丹に着いたらちょうど京都行きのリムジンバスがとまっていたので、是に乗れるかと思って切符を買って戻れば、はい満席で発車しました・・・でここも20分遅れ・・あちゃ〜・・涙。
 バスの窓からMADAMさんを発見〜、遅れちゃってすいません〜。scrさんとhashさんと合流すべく桃山御陵駅まで私鉄の旅、昼食食べて、現像の話を聞いて、いよいよ、舟に乗りましょうか?ということで、船着き場まで、月桂冠酒蔵の脇を抜けて・・・板壁と漆喰がなんともいえない風情、なかなかええですね。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



〜 「BUTSU-YOKU」        Konica Ub 〜

03.Dec..2006
 12月に入り、2日、3日と京都へ・・、伏見、島原、三条界隈という、非常においしいところを写友仲間と歩いてきました。本当にお世話になりました。一日目は、MADAMさん、SCRさん、m_hashさん、懇親会ではjazzyさんとも合流して、酔っぱらっちゃいました・・爆。
 二日目は、MADAMさん、gakuazuさん、オランダ人さんと島原界隈を歩きました。
 私の写真については、現像してから、まとめていきますが、ワァワァ、キャピキャピ言ってる割には、フィルムの消費がすくなかったのであります。網膜を通して、脳裏に焼き付く感動の方が大きかったのであります。
 で、京都物欲編をまずUP。物欲編といっても、私のは、二日目の、この一台!MADAMさんの板でも紹介されているお店のガラスケースに入っていたUb・・いいなぁ、逝っちゃおうかなぁ〜と思って、店主さんへ・・そしたら、別のところから、「Ubなら、これは〜・・これなら○○でいいよ」えっ、その値段で良いの?レンズキャップは?「これないよ〜。ん〜・・んじゃ、付けてあげるね〜」キャッホー、わぁ〜きゃ〜・・で連れて帰ってきました。おみやげも頂いて感謝・感謝!!みんなに感謝!!の京都編のはじまりで〜す。

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