亜哉の2007年12月の「写真日記」
亜哉が撮った12月分の「写真日記」をまとめたページです。
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EOS-1n /EF35mm F2.0 / PRESTO /D76



〜 「 文化灯籠 」         塩竃市 鹽竈神社境内 〜

31.Dec.2007
 仙台藩、9代藩主・伊達周宗(Chikamure)によって、文化年間に寄進された「文化灯籠」です。
 仙台藩主も、5代藩主あたりまでの話は、聞きますが、9代藩主の話になると、マイナーな存在ですが・・
 周宗さんという人、1796年(寛政8年)生まれてすぐに藩主となって、翌1797年(寛政9年)には、北上川やその流域の河川の大洪水で庶民は生活に堪え切れず、田畑を捨てて他所へ逃れる者が多く出るようになり、仙台藩最大の「仙北十郡大百姓一揆」が起こるんですが、これは周宗の責任ではなく家臣団の責任ですね。
 そして1809年(文化6年)14歳で早世、嗣子もいるわけもなく、当時、17歳未満は世子をたてることができず、亡くなったことを隠して、3年後に、周宗の弟である斉宗(Narimune)を世子として立てた後、1812年(文化9年))死去したとして幕府へ届け、仙台藩は改易を免れたという話があります。
 この金象眼入りの青銅製灯籠「文化年間に寄進した」とありますから、亡くなったことを隠すために、巨大な灯籠を寄進して、生きている証にしたのではというのは考えすぎだろうか?それとも、一般的に藩主の権力誇示かな?
 初詣の駅ポスターは、左に回って、ちょっと右へ振って、別宮(主祭神を祀るスペシャル宮)も入れたカットでセピア調です。
 今年は、いろいろアドバイス頂いたり、一緒に遊んで貰ったり、来年も、よろしくお願い致します。明け番は眠いですぅ〜・・テヘヘ
 EOS-1n /EF35mm F2.0 / PRESTO /D76

PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited / PRESTO /D76



〜 「 ネットがとれた 」         塩竃市 宮町 〜

29.Dec.2007
 12月21日の丹六園さんです。ネットがとれて・・あれっ、どこが変わったんだろうか?違和感が感じられません。まだ職人さん達がいますから、工事は終わっていないようです。
 でも、すごく安心しました。子供の頃から見慣れている光景が変わっていないから・・・どこが変わったんだろう・・また気になった・・笑
 PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited / PRESTO /D76

EOS-1n / EF50mm F1.4 / PRESTO /D76



〜 「 ギクッ  」         塩竃市 宮町 〜

28.Dec.2007
 12月6日に塩竈に行ったときは、あの銘菓「しおがま」の丹六園さんの建物にこんなネットが・・・・まさか、解体?リニュアル?サッシ化?どうなるんだろう・・・なんて、すごく気になったりしていましたが・・
 先日21日には、このネットが外されて、店舗の前には、職人さん達の車が停まっていて・・・・、一安心したり・・・でも、ガラス戸がサッシしてたら感じが変わっちゃうよね〜なんて、また気になったりして・・・
 明日29日にまた行ってみようかと・・・ちょっぴり心配なんですけど、
 EOS-1n / EF50mm F1.4 / PRESTO /D76

Canon A-1 /NFD 24mm F2.8 / PRESTO /D76



〜 「 明治の舟溜まり 」        塩竃市海岸通り 〜

26.Dec.2007
 舟溜まりといえば、地盤が悪いだろうから、道路か公園かなんかになっているんだろうなぁ〜なんて、先入観で見ていましたが、この「海岸通り」という地名は、通り名ではなくて「住居表示」だったんですね。
 じゃ、この通りが舟溜まり?いえいえ、正面の中小ビルが建っているこの一区画全てが「舟溜まり」だったんです。塩竈の街では、一番先にビルが建ったところでした。灯台もと暗しですね。以前シャッター街が増えて・・と紹介したのがこの一画です
 ぐるっと廻ってみれば、なるほどねぇ〜、じゃ昭和の舟溜まりは、ここからここかぁ〜なんて、建物見て、ニマッ〜、エッヘヘヘでした。
 道路は拡幅もされていますが、この舟溜まりの廻りに路上商い的にいさば問屋が当時はならんでいたとか・・・その史料もチリ地震津波で消えたり、水に浸かって廃棄されたり貴重な史料が失われました
 Canon A-1 /NFD 24mm F2.8 / PRESTO /D76

PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited
/ PRESTO /D76



〜 「 めりーくりすます 」        塩竃市 本町 〜

25.Dec.2007
 「くりすます」にちなんで、大漁旗ツリーが飾ってありました。夜は電球が灯るんですが、昼は、色とりどりの・・・っていっても、モノクロでごめんなさい・・爆。
 塩竈と言えば、現在は、マグロの水揚げ日本一の塩竈漁港ですから、大漁旗が、こんな感じで(^^;) 
 PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited / PRESTO /D76

PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited
/ PRESTO /D76



〜 「 浮き桟橋と西埠頭 」        塩竃市 港町1 〜

23.Dec.2007
 「マリンゲート塩竈」の展望デッキから、湾内の方向も見ることができます。遊覧船や市営定期船の停泊している桟橋が、浮き桟橋で、潮位の影響を受けずに船の乗船口にそのまま乗船することができます。その先の岸壁は、西埠頭、貨物用の岸壁になります。
 対岸のクレーンが並んでいるのが、東北造船、小さな林の様に見えるのが歌枕の「籬島(まがきじま」で、その先が、現在の塩竈魚市場で、埋め立てられたところであります。
 こちら側の西埠頭から更に埋め立てがされて写真右手の方へ陸地が延びていますが、こちらも側も埋め立て地になっています。
 PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited / PRESTO /D76

PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited
/ PRESTO /D76



〜 「 2007年の塩竈港 」        塩竃市 港町1 〜

22.Dec.2007
 現在の塩竈港にある平成8年竣工した観光船や市営定期船の桟橋のある「マリンゲート塩竈」の展望デッキから、塩竈の街の方を見ています。
 正面の丘陵が、塩竈神社のある「一森山」です。平地が少ないので丘陵地にビッシリ家が建っています・・人口密度県内第一位の理由です。正面左側に見えている大きなスベリ台のように見えるのが、今年の5月に誕生したイオンタウン塩釜SCの駐車場と建物です。かつての塩釜港駅のヤード跡にすっぽり入っています。そしてこのマリンゲート塩竈の場所は、昭和4年、岸壁にあった「塩竈町魚市場」跡に建っています。大正期よりもこれだけ海が埋め立てられているんです。
 昨日UPの船も旧・桟橋に係留されていますが、現在、可動防潮壁工事がされているので、旧・桟橋へは、防潮壁をグルッと廻らないと近寄れません。白く海岸沿いに見えるのがその防潮壁です。防潮壁のない岸壁は昨日の写真の如くであります(^^;)
 ここの2階、3階の展望デッキは、津波時の避難場所になっていますので出入り自由です。おもしろい看板もありました「公序良俗に反する行為はおやめ下さい」と・・・爆
 PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited / PRESTO /D76

PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited
/ PRESTO /D76



〜 「 ゲテ船? 」        塩竃市 旧・観光桟橋 〜

21.Dec.2007
 19日は、仲間内で飲んで、20日は会社の忘年会で・・2日目は体力消耗していたところへ日本酒で・・もうヘロヘロで、2度と酒飲むものか〜・・爆。
 21日は、朝、コーヒーを飲んで塩竈へ・・電車に乗って出かけました・・別に二日酔いではないのですが〜・・歩いた方が隅々まで移動できるから都合が良いのです。
 カメラは、Z-1p、レンズはFA43mmとFA28-80mmの安価なズーム、Canon A-1にNFD24mmF2.8の2台だけの軽装備。
 この遊覧船、塩竈みなと祭りの、御輿を載せる「御座船」を模した船で以前もUPしましたが、御座船は、「鳳凰」と「龍鳳」ですが、遊覧船の方は「龍鵬」と「孔雀」になります。
 御座船の史料は、藩政時代に描かれた「鳳凰」と「龍鳳」の絵が1対で残っていますが、現在は、瑞巌寺と塩竈神社に別々にあるそうです。どちらも伊達家ゆかりの神社でありお寺なのですが、本来はこちらのもの・という主張は相容れないようです・苦笑
 PENTAX Z-1p /FA43mm F1.9 Limited / PRESTO /D76

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



〜 「 水路をゆく 」        塩竃市宮町2 〜

18.Dec.2007
 水路の終端までの間だはどうなっていたっけ?途中T字形になっていたり曲がっていたりしていたよなぁ〜・・・と数カット撮っていたが、現像してみたら、どっち向きに撮っていたか???ここは、・・??。  ん〜考えても、わからにゃい〜。もう一度行ってみないと・・・今度はあの米穀店側から撮ってみようかな〜でも逆光になるから、海から進めばいいかなぁ・・。ちょっと迷っちゃいます。
 キャプションだけは書いてみたのですが、ついでに24mmも撮っちゃおうかなんて欲張ると・・またトンチンカンになっちゃうので・・・まずは、また撮りにいきま〜す。
 EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



〜 「 水路終端 」        塩竃市宮町2 〜

17.Dec.2007
 水路の終端・・大正元年の地図では、この水路を横切る道路に沿って、更に水路が右へ折れている。説明板かと思ったら町内会の掲示板があった。
 水路から真っ直ぐに丘陵へ延びているのが、鹽竈神社へ車で行くときの参道になる。右へ曲がれば、あの旧・専売局の建物がある。左へ曲がれば、木造の銘菓「志ほがま」の丹六園さんがある。
 荷馬車や荷車をひいた人々が往来する大正期当時の街並みが見えてきたような気がした。
 EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



〜 「 振り返れば 」       塩竃市北浜・潮見橋より 〜

15.Dec.2007
 国道45号線は、塩竈の街中を通るが、海岸線に沿って走る道がこのトラックの走っている道であり、幅も45号線と変わりがないし、街中を抜けてもこの道と合流するから、こちらが45号線と思っている人も多い。
 その道の脇を仙石線の高架が並行している。その先は塩釜湾である。
 この高架の下が、かつての塩竈港駅から、魚市場までの引き込み線の路盤になっている。掲示板にUPした、小さな橋台もこの水路に架かる部分である。
 この水路、位置的に今も昔もさほど変わっていない。このあたりも地図の中にイメージしておくと、港の変革もわかりやすくなるかなな?とちょっと閃いた場所である。
 EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76

PENTAX K-100D /TAMRON AF 18-200mm
F3.5-6.3 XR DiU



〜 「 汐の香り 」  塩竃市北浜・潮見橋から 〜

15.Dec.2007
 塩竈の街を歩いていると汐の香りがほんのり漂う。昭和40年〜50年は、汐の香り+水産加工場から強烈な匂いの混じった匂いだった。
 この海の名残りの水路も、以前はヘドロ臭であったが、今は感じない。水質が改善されて来ているからなのだろう。私の立っているのが潮見橋という小さな橋で、昭和40年の竣工・・後方が塩釜湾である。
 左の更地は、旧・ジャスコの場所で住居表示は塩釜駅前、右側が北浜である。この水路も途中でT字形になり、更に進むと、暗渠となっていく。この水路ともう1本、塩竈神社前を通る水路があったが、そちらの水路は完全に暗渠になってしまっている。
 PENTAX K-100D /SMC PENTAX-DA 18-55mm F3.5-5.6 AL

PENTAX K-100D /TAMRON AF 18-200mm
F3.5-6.3 XR DiU



〜 「 今年も光のページェント 」  仙台市定禅寺通り 〜

14.Dec.2007
 今年も、仙台の冬の風物詩・・「SENDAI光のページェント」が12月12日から始まりました。
 昨日夕方から買い物のついでに、ちょっと撮ってみました。スカイバスも一緒に撮れるかな?と思ったものの時刻表をチェックしていかなかったので、スカイバスは撮れませんでした。
 そのかわり、「スターライトウィンク」が、18時、19時、20時の3回あるのですが・・・と言っても、豆球が一斉にパッと消えて、1分後にパアーーーット点くだけなのですが・・笑。
 カップルのおねぇちゃんなんかは、キャーーッと黄色い歓声をあげて彼氏にくっついていました。
  PENTAX K-100D /SMC PENTAX-DA 18-55mm F3.5-5.6 AL

PENTAX K-100D /TAMRON AF 18-200mm
F3.5-6.3 XR DiU



〜 「 浦霞醸造元 大正蔵 」  塩竈市本町 〜

13.Dec.2007
 以前モノクロでご紹介した、浦霞醸造元の大正蔵です。手前の車と比べると大きさがわかりますでしょうか?
 石造りの蔵ですちょつと、黄色っぽい凝灰岩で出来ています。以前前を通ったときは、店舗も休みだったのですか、今回は、搬出用の扉があいていたりで、ぷぅ〜んと、新酒の薫りが立ちこめていました・・笑
  PENTAX K-100D /TAMRON AF 18-200mm F3.5-6.3 XR DiU

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



 「 旧・煙草専売局(旧・高橋ベニヤ板店) 」  塩竈市・宮町

12.Dec.2007
 大正11年竣工、石造りの旧・煙草専売局です。現在は、高橋ベニヤ板店になっています。
 この近代建築・・あるのは、わかっていましたが、このあたりは車では何回か通っていたのですが探せないでいました。
 先日、歩いていたら・・あらこんなところにあったんだ〜!なのです・・笑。石材は、野蒜産の凝灰岩、こじんまりしているわりには、重厚な感じがします。塩釜からちょっと離れます・・なんて書きましたが、近代建築もどこかで紹介しなくっちゃ・・・です。
  EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



〜 「 西町へ 」             塩竈市・玉川 〜

11.Dec.2007
 旧街道から、現在の幹線道路に早めに抜けた・・・徒歩なら、一方通行も関係ないが、込み入った道での一方通行の道に出会えば、とんでもない方向へ行ってしまうからです。
 現在の道も両側が切り通しになっていますが、前方に見える橋をくぐり下っていくと西町へ入っていきます。
 そして、右のマンションが建っている方向に塩釜高校がありますが、その校庭は、かつて平安期には「鳥居原」と呼ばれ、古代の市場が開かれいたといわれているところでもあります。
 昨日紹介した赤坂新道は明治期の塩竈街道の一部であり、藩政期の街道は?、芭蕉が「おくのほそ道」で通った街道は?それ以前の街道は?となれば、膨大な史料と考証が必要になってきます。諦めるわけではないのですが、現実的にひっちゃかめっちゃかになるのは目に見えてきます。
 その辺も考えながら、年代を考えていけば、やはり今を中心に過去をときどき振り返るのが一番良いのかもしれないとも思います。ということで、図書館通いをしますので塩釜からまたちょっと離れます。
  EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



〜 「 2007年の赤坂新道 」       塩竈市・玉川 〜

10.Dec.2007
 東北本線・塩釜駅前の交番脇を進んでいく、これが明治期の塩竈街道なのだが、道の両側には住宅が並び、住宅地を抜ける道にしか見えない。
 道幅も狭く、上り坂になって、見通しも悪い。出来た当時も、荷車を曳いていくのは大変だったろうと想像が付くが、それでも、陸路で塩竈から仙台へ行く最短ルートには違いなかった。この旧街道も、このまま進んで赤坂橋へでて、旧街道は新しい道路に取り込まれていく。
 EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



〜 「 赤坂新道へ 」         塩竈市・玉川 〜

09.Dec.2007
 政庁跡の多賀城市・市川から、ゆるやかな丘陵地を抜けていくと、あっという間に塩竈市・玉川に出ます。車なら5分くらいでもう塩竈市です。いまでこそ、丘陵地帯が削られていますが、アップダウンの連続した道です。
 塩釜市に入ると道幅が広くなって旧街道の面影は薄くなりますが、ここから明治期に出来た赤坂新道が残っています。ちょっと判りづらいですが、写真右側の「止まれ」の標識から続いていく道です。
 このあたりは、小高い丘陵地というより低い山でした。その削った土砂が、明治15年の塩釜港の埋め立てにつかわれたのでした。そして、その土砂の運搬作業は宮城集治監(現在の宮城刑務所)の囚人の出役によったといわれています。西南戦争の影が色濃く残る時代でもありました。 
 EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76

PENTAX K-100D /TAMRON AF 18-200mm F3.5-6.3 XR DiU



〜 「 旧・塩竈街道 」         多賀城市市川 〜

08.Dec.2007
 旧・塩竈街道は、宮城野区・原町−宮城野区・岩切−多賀城市・市川−多賀城市・浮島−多賀城市・玉川を経て塩竈市・赤坂から塩竃市・西町へと入るルートであります。
 写真右側の小さなお堂の中に石碑がちょろっと見えますが、これがあの、「京を去ること一千五百里・・」で始まる「壷の碑」なのです。そして、ちょうど私が立っているところが、陸奥国府多賀城の南北大路になります。丘陵の低い谷間をかつての大路を横切って旧・塩竈街道がはしっています。
 旧・塩竈街道は、ご覧のように細い道ですが、ここを塩竈からの鮮魚や塩乾物が運ばれた道なのです。同時に、歌枕の地が結ばれているルートです。芭蕉もこの道を通っていきました。。
 PENTAX K-100D /TAMRON AF 18-200mm F3.5-6.3 XR DiU

Nikon 35Ti / 35mm F2.8 /PRESTO /D76



〜 「 陸奥国府から塩竈へ 」    多賀城市市川 〜

06.Dec.2007
 陸奥国府多賀城の外港は、現在の塩竈か、七ヶ浜町の湊浜か?外郭南門跡に建つと、また疑問が湧いてくる。湊浜は、政庁跡の脇に市川の流れがあり、旧・七北田川へ続いていた。その河口は湊浜であった。
 かたや塩竈津は、ここから車で約10分たらず、ただし、起伏のある丘陵地を越えなければならなかった。どちらが、便利だったのか?舟運を考えるとやはり湊浜なのかとも思うが、塩竈は奥へ入り込んだ入江、湊浜は外洋である・・・どちらも天然の湊には変わりなかったのかもしれない。
 外郭南門から政庁跡へ続く南北大路の発掘調査が終わり、ここから、真っ直ぐに南北大路が延びていることが明らかになった木々の葉っぱが落ちたことにより、ここから政庁への石段が見えていた。
 12月6日 塩竈の撮影は、ここから始めることにした。
Nikon 35Ti / 35mm F2.8 /PRESTO /D76

EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76



〜 「 ちょいとカメラを振ると 」    塩竃市本町1 〜

04.Dec.2007
 昨日の場所から、ちょっと右にカメラを振ると・・かつての本塩釜駅舎(壱番館)ホーム・線路に沿って45号線があって、仙石線が高架になる前までの「昭和の舟溜まり」がありました。チリ地震津波で漁船が打ち上げられていたところです。今では、この「壱番館」の両側の通りの様子が違っているのが対照的です。
 さて、そろそろ、撮りに行きたいのですが、お天気がまた悪くなりそうです。歩いて廻りたいので、職場に車を置いて、電車に乗って、あったか〜くして行こうかな〜。
 ※この写真も以前UPしたものですが、←使い回しですねぇ・反省。右側のつながりを撮るのを忘れていました・・ここも、撮り直しですね

EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76



〜 「 仙石線、旧・本塩釜駅前 」    塩竃市本町1 〜

03.Nov.2007
 12月に入っても、なかなか塩竈の写真を撮りに行かれない・・休みだけの問題ではなく。このところ頭痛が酷くて。仕事がやっとという現状だったのです。吐き気、目眩はないので、頭のCPUではないようで・・笑。病院に行こうかとも思いましたが、休日で診療は休み・・まぁ、最悪を想定したときは、救急隊のお世話になればいいかで・・笑。
 さて、この写真ロケハンの時に撮っていたのですが、「街道・・・」用の写真は撮り直しますが、右のビルが壱番館です。ここに仙石線、旧・本塩釜駅がありました。
 ということは、この壱番館の右側の通りが「海岸通り」として地名が残っている明治期の舟溜まりということになるのです。

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