街道をゆく 〜嵯峨散歩 仙台・石巻〜

「東北大学」より「片平丁界隈」 その2〜

 その1では、南六軒町から片平丁通り、米ヶ袋の広瀬川まで、藩政期を中心に書いてみたが、木造建築だけが、価値があるわけではなく、ここでは、仙台市の中心部にあって、戦災を受けながらも残った、明治から昭和の近代建築の宝庫とでもいうべき、東北大学片平キャンパス内の近代建築をご紹介いたします。
                                           (7.AUG.2006)


図−1  東北大学 片平キャンパス周辺地図                  青葉区 片平丁
 地図上に、オレンジ色で建物を着色したところが、現在の東北大学片平キャンパスで、明治から昭和までに建てられた近代建築物の場所である。
 @ 七軒丁通り                                   片平2丁目
 五橋交差点から、上染師町を突っ切って、東北大学の南門前を通り、片平丁に抜ける道が、旧・七軒丁通りである。藩政期に、北側に4軒、南側に3軒の大身・中身の武家屋敷があったことから、七軒丁と名前がついた。
 木造作業場のような平屋の建物が見えてくる。

A 学生ユニオン本部棟                                  南エリア
 現在の「学生ユニオン・大学生協理事室」などの入っている建物で、床屋さんも入っている建物である。竣工時の名称等は不明である。


 B 機械工場                                      南エリア

 現在は、使われていないようだが、近年まで、車庫として使われていたようで、大きな引き戸が付いている。昭和14年竣工の「機械工場」といわれている。


C 武道場                                      南エリア

 大正13年竣工の武道場である。左側は、当時のまま外壁が塗り直されているようだが、右側半分は、サイディングボードに張り替えられて、違和感を覚える建物となっている。

「階段室」
「南六軒丁からの通り抜けゲート」
「ダスト・シュートと雨落ち排水溝」

D 旧・仙台高等工業学校(SKK) 建築学科教室                       南エリア

 片平丁の南端から田町に続く、南六軒丁の通りに面して、ゲートになっている。現在は「電気通信研究所附属21世紀情報通信研究開発センター」と長い名称がついている。
 昭和5年竣工、RC3階建て、外壁は、スクラッチタイル貼りで南エリアのシンボル的存在の建物である。


E 中央体育館                                 南エリア

 戦後、飛行場の格納庫を移転し、体育館にしたといわれている。現・中央体育館である。竣工年は昭和27年(東北大学史料館調)


F 南エリアから中央エリアへ松並木をゆく                      旧・桜小路

 仙台高等工業があった南エリアから、旧・法文学部・工学部・理学部のあった中央エリアへ向かう。
 キャンパスを南北につらぬく小路が、藩政時代の桜小路であり、大身・中身の武家屋敷が両側に連ねていた。


G 「片平第一ホール」                                中央エリア 

 外国人教師宿泊設備として建てられたらしいといわれている。現在は「片平第一ホール」の看板があり、演劇部のサークル棟として使われている。竣工年は、昭和8年である。


H 旧制・二高書庫                              中央エリア

 「旧制二高書庫」として、明治43年に竣工した煉瓦造3階建である。その後、東北帝大に法文学部が出来ると「文学部考古学収蔵庫」になった。
 渋い赤レンガの直方体の建物であり、かなり目立つ建物である。

「多元研管理棟」
「多元研・素材工学研究棟」 旧工学部本館正面
「多元研・素材工学研究棟」 中庭

I 旧・東北帝大 工学部本館  機械・電気工学教室                  中央エリア

 「多元物質化学研究所素材工学研究棟・附属資源返還・再生研究センター」が現在の建物名称である。略して「多元研・素材工学研究棟」と「多元研管理棟」といわれている。竣工は、昭和5年、RC造で松の緑に似合う建物である。 2棟の間の中庭がお薦めスポットである。


J 旧・第二高等中学・物理学教室                            中央エリア

 現・「職員集会所」になっているが、近年調査により、片平キャンパスで最も古い建物で、竣工年は、明治23年であることが判明した。更に、竣工当時は、旧制二中本館に直交する階段教室であったが、大正11年に東北帝大・法文学部教室になるときに現在の姿になった。


K 東北帝国大学法文学部 研究室2号館                       中央エリア
 昭和2年竣工、RC3階建て、玄関は、大谷石のレリーフが刻まれ、窓周囲のレンガの装飾、階段室を張り出させたファサードデザイン等、史料館の後側で、静かに建っているのが「旧・法文2号館」である。


L 旧・仙台医学専門学校 六号教室 (博物・理化学 階段教室)             中央エリア

 別名「魯迅の階段教室」でしられる明治37年竣工の階段教室である。
建物の回りはフェンスで囲まれ、入口は、鎖錠されていて、フェンス内にも教室内も、特別な公開日以外には入れない。

 階段教室前には、広報部の建物があり、非常にわかりづらい場所に建っている。


M 旧・東北帝大 正門                             中央エリア

 正門から、下の「旧制・二高物理実験室」へ突き当たる道が、藩政期の弾正横丁で、鍛冶屋前丁から北目町に抜けていた。明治になり、陸軍省用地となって廃道になった。新しい道は金属研究所前へつくられた。


N 旧・東北帝大 附属図書館閲覧室                           中央エリア

 RC二階建て、塔屋付きのロマネスク調の建物であり、現・東北大学・史料館である。
 
 竣工は、大正14年、設計者は、小倉強である。片平キャンパス内で最も美しい建物であると思う。キャンパス内は、人と自転車は、自由に通り抜けられる開放的な場所となっている。


O 旧制・二高物理実験室                            中央エリア

 現「人事部、研究協力部、財務部、事業資産企画室、営繕課、庶務課」などが置かれている建物である。

 明治24年、昭和9年に増改築が、正面、側面、背面で意匠が異る建物になったようである。

旧・弾正横丁に沿って建つ、旧・東北帝大理学部化学教室
桜小路から北向きに見る
中庭から見た旧・理学部化学教室
ツタの絡まる初夏 中庭から見た旧・理学部化学教室
壁面が深紅に染まる 秋
そして春を待つ日差し・・・中庭から見た旧・理学部化学教室
北門から見る多元研図書館

P 旧・東北帝大 理学部化学教室・実験室                    中央エリア

 片平キャンパスの最大の建物であり、正門から続く弾正横丁と北門から続く桜横丁の交差部に位置し、スクラッチタイルと正面玄関のコンクリート柱の白さが目をひく。

 また中庭にまわると、灰色の壁にツタが絡んで、秋の紅葉シーズンには、真っ赤に覆われる。

 竣工は、昭和2年、昭和7年と昭和9年に増築されている。現在は、総務部が入っているが、ほとんどの教室は空き部屋となっている。


Q 伊勢屋新丁                                       北エリア
 片平キャンパスから、一番町へ近道で抜ける、伊勢屋新丁である。柳町通りと五橋通の交点を進めば東一番丁の通りである。

S 旧・東北帝大 北門食堂                          北エリア
 中央エリアと北エリアは、明治初年に新たにつくられた弾正横丁(金研横丁)で区分される。この北門食堂、残念ながら、学生と職員のみ利用可能で、部外者は利用不可なのである。値段も質も量も学生向きで、ちょっとうらやましい。


21 旧・東北帝大 金属材料研究所 本多記念館                   北エリア

 昭和16年竣工、 KS鋼や新KS鋼の発明で知られる東北帝大第6代総長・本多光太郎(1870-1954)の在職25周年を記念して建てられ平成6年に改修されている。
 当時の本多博士の執務室が内部につくられている。


22. 旧・東北帝大 理学部・生物学教室                          北エリア

 片平キャンパスの最北端にあって、大正12年竣工、仙台初のRC造りで、玄関は、明治末期から大正期に流行した幾何学模様を多用したゼツェッション様式である。円形コーナーが特徴で、重厚でおしゃれな建物である。
 現在は「放送大学宮城学習センター」として使われている。

 このように、片平キャンパスは、豊富な緑の中に近代建築が残っている場所である。藩政時代の建物は皆無であるが、明治の貴重な建物をはじめ、大正、昭和のすぐれた意匠の建物が現存して、市民の憩いの場所にもなっている。市民による保存運動も高まっているが、保存啓発の一助になればと思う。


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