亜哉の2006年4月の「写真日記」
亜哉が撮った4月分の「写真日記」をまとめたページです。
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EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「 釈迦堂 」       宮城野区 榴岡 ~

30.Apr..2006
 釈迦堂にまた行ってみました。手前の松の木が気になります。
松の木の先に回ると、28mmでやっとです。バースでゆがみます。
 ただそれだけのことですが、ちょっと気になることがありました。
釈迦堂の鐘についての説明板があるのですが、倒されていました。
 そして、ここに来る前に、榴ヶ岡天満宮では、句碑の隣に、説明板が取り付けてあるのですが、芭蕉句碑だけ、説明板が外されて転がっているのでした。意図的です。
 この位置から撮ると、松の木と右の向拝柱の間に写るはずです。GWがはじまりましたが、そんなことばかりしていると、しまいには、無粋な柵が廻されることになるのにね。ずっと気分が悪かったです。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「 2006年の明神横丁 」  宮城野区 鉄砲町 ~

29.Apr..2006
 鉄砲町と二十人町を結ぶ「明神横丁」を鉄砲町側から撮った写真です。
 ここを進むと、佐藤かまぼこ店さんのところに出るわけです。軽自動車の幅と比べると狭い道ですが、車は一方通行ですが、歩いていくには十分な広さです。
 今日から、GWですが、いつもこの時期、あっしには関わり合いのないことで・・休みがあるわけじゃないし、通勤時の朝の道路は空いてるし・・どちらかというとイジけているのかもしれません。
 最近、あっちこっちで工事があって、写真を撮るのもあっちこっちと場所を移動しなくてはならなくて大変です。区画整理以外のところでも、いつのまにか取り壊されていたり、街中は、車で移動するのは嫌ですし、取り直しをしようとおもったら消えていたり・・この鉄砲町界隈や二十人町界隈も、どのようにまとめようかと悩んでいます。なぜなら、出かける度に変わっていくからなのです。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「 2006年の写真屋さん 」 宮城野区 鉄砲町 ~

28.Apr..2006
 「信金」さんと「ちば床屋」さんと「明画堂」さんです。以前ここにUPしたときは、場所を見間違えて、取り壊されちゃったとおもいましたが、残っていました。現在も、営業していました。
 昨日は、夜の19時頃に鉄砲町を通ってきましたが、今野ゴム工業さんもありましたし、平提灯店さんは、お店が開いていて、カーテンも開いていました。ショーウィンドゥーに照明もついていました。まわりが暗いので、くっきり提灯が照らされていて、ホッとしました。
 つつじが岡のソメイヨシノは、散り始めて、道路が桜色に染まっていました。ベニしだれはまだ咲いていますし、八重桜はこれからです。花見客もいました。屋台のテントもまだまだでています。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「 2006年の今野さんの店舗 」 宮城野区 鉄砲町 ~

27.Apr..2006
 今野ゴム工業所さんが、道路の角になるようです。側面の下見板が見えています。1階の屋根についていた看板が外されていますが、カーテンは開いていました。
 今日は、有休休暇を取りました。鉄砲町を歩いて仙台駅まで行こうかな?雨が降らないと良いのですが、桜は、県北の古川市以北は、まだ咲いていません。今年は、遅いですね。角館とか北上とか弘前なんかはまだまだです。会津が見頃。仙台もまだ見られます。

PENTAX ME /M50mm F1.7/FUJI PRO 400



~ 「 2002年の今野さんの店舗 」 宮城野区 鉄砲町 ~

26.Apr..2006
 2002年の今野ゴム工業所さんです。BSの赤の看板が目を引いていました。木造二階建てで、二階部分の漆喰と下見板と瓦葺きの屋根が歴史を感じさせる建物でした。
 ここにUPしているということは・・、2006年も営業していました。見つけたときは、よろこんでしまいました。

PENTAX ME /M50mm F1.7/FUJI PRO 400



~ 「 2002年のショーウィンドゥー 」 宮城野区 鉄砲町 ~

25.Apr..2006
 平提灯店さんです。4年前に撮ったショーウィンドゥーです。一番上が「竹駒稲荷大明神」ですね。竹駒稲荷は、仙台市の南の岩沼市の商売繁盛の稲荷神社です。
 昨日UPした時とウィンドゥの中身が入れ替わっていますね。なんかうれしくなってきます。仕事があるんですね。
 提灯というと、私の家の中では、お盆に仏壇の前に飾る盆提灯しかありませんが、この手持ちの提灯を持って、半纏をパッと着たら粋だねぇ~。なんて思ってしまいます。似合うかどうかは別ですが。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「 平提灯店 」    宮城野区 鉄砲町 ~

24.Apr..2006
 平提灯店さんです。仙台在住で、街並み写真を撮ってきたプロアマ問わず、もう何人もこのお店を入れて写真を撮っています。
 向かいには、村上鍛冶屋さんがありました。現在鉄砲町の通りと建物を残しているのは、右側のここだけかもしれません。月末は気になります。いつ消えてしまうのか。重機のアームが動いているのを見るとザワッとします。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「 だいぶ変わりました 」    宮城野区 鉄砲町 ~

23.Apr..2006
 鉄砲町の東側です。この道は直線で続いていましたが、提灯店の先まで、広がってきています。
 電柱のところの小路から自転車が出てきましたが、ここが、鉄砲町と二十人町をつなぐ3つの横丁の一つ「猫屋横丁」であります。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「2006年の瀬戸物店 」     宮城野区 鉄砲町 ~

22.Apr..2006
 昨日UPした瀬戸物屋さんです。右側のお店はマンションに変わっています。左側のお店は、更地になっています。
 一台の車がお店の前に停まりました、どいてくれないかなぁと思いましたが、ドライバーがお店の中に入っていきました。あっ、お客さんなんだなぁ。きっとお馴染みさんなのかもしれませんね。ゆっくりお買い物してください。と、しばらくまっていましたが、また撮りに来ることにしました。 でも、すごいですよね。こんな大きなマンションが建つんですから・・。

KONICA ACOM-1 /HEXANON AR 40mm F1.8
/ACROS /シュテックラー氏二液現像




~ 「2002年の瀬戸物店 」     宮城野区 鉄砲町 ~

21.Apr..2006
 4年前に撮した瀬戸物屋さんです。両隣の店も健在でしたが、現在は、手前の店舗が、まさかと思われるかもしれませんが、マンションに変わっています。
 私も、まさかと思いましたが、19日分のお茶屋さんと同じ状態になってしまいそうです。
 こんなにマンションばかり建ててどうするんだろうと思います。ところが街中に住んでる人は、すぐいっぱいになるんだという人もいます。
 本当なのかな?田んぼのあるところに住んでいると、どうしても、こんなにマンションばかり建てて、入居者でいっぱいになるというのは想像もつかないんです。
 以前、古い木造家屋が密集しているから大火になったら大変だと言った人達がいますが、マンションがこんなに密集して建ったら、火事になったら大変だ。ハシゴ車も足りないという人はいないのだろうか?

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「 マンションの前に 」     宮城野区 鉄砲町 ~

20.Apr..2006
 マンションの前に、マンションが建つようだ。櫛形の町割なので、真ん中の土地があれば、前の方の土地もある。
 おそらく、マンションの前には、道があるのだろう。後側かもしれない。しかし、そんなに太い道路ではないんだろうなぁ。建築基準法ギリギリなのかもしれない。その前に、マンションが建つ。全戸南向き、だいたい想像がつく。
 あらたな街の新たな問題点がもうおきているような。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「 櫛型の町割 」     宮城野区 鉄砲町  ~

19.Apr..2006
 鉄砲町と二十人町は、櫛形の町割りがされている。今も、営業しているお茶屋さんのところは、こうなっています。
 後にはマンション、左側にも建築資材が運ばれているので、もうすぐ工事がはじまるんだと思います。
 通りの両側が、櫛形になっていますから、細長い土地に、1軒から3軒の家が建っていました。小路よりも細く、軒先を通るような細い路地で奥へつながっていたわけです。
 今、藩政時代からの街の名残を壊す工事と、新たなRCの街をつくる工事が同時に起こっています。見えなかったモノが見えてきています。マンションの前にマンションが建つというのもそういうことの一つです。 

PENTAX ME /M50mm F1.7 /PRESTO /D76



~ 「 元寺小路にて 」       宮城野区 元寺小路 ~

18.Apr..2006
 宮城野橋というより、仙台市民にとっては、エックス橋と言った方がピンと来るが、そのエックス橋にとりつく、小田原車通りと鉄砲町が交差するところから東六番丁の間が元寺小路である。東北本線で寸断される前は、さらに西へ向かって続いていた。
 昨日また街を歩いた。仙台も、桜が咲いてきた三分咲ぐらいだろうか。まだ膨らんだつぼみも多いが、もう花見客が出ている。
 花見というとお酒だが、和菓子やさんや餅屋さんには、道明寺が並ぶ。大友米穀店の隣が武田餅店であり、さっそく買いに店に入った。
 この辺もすっかり変わりましたね。という話から、いろいろお話を聞かせて頂いた。武田さんのところは、公園になること。店舗は、元の場所に戻ること。そして、区画整理の頃の役所の担当者が退職して、今後のことは誰に交渉すればいいのかわからなくなっていること。区画整理で出来たマンションの前に更に別のマンションが建って、はじめに出来たマンションに日が当たらなくなること等々。
 今、街をこわしている傍らで、あたらしい街ができようとしている。今が、そこにある。撮り続けていかなければ今を!と思う一日であった。

PENTAX ME /M50mm F1.7 /PRESTO /D76



~ 「 昔は、ね! 」    宮城野区 鉄砲町 ~

17.Apr..2006
 2002年に撮った鉄砲町の路地、隣の二十人町に通り抜け出来ていたんでしょうね。
 「こんにちは~、通してけらいねぇ」、「今日は、どこさ、お出かけっしゃ~」なんて家主の声との掛け合いが聞こえてきそうです。
 人も通れば、自転車も、えっ、バイクも通ったのすか?昔は、ね。
ちゃんとした小路は、3本なのっしゃ~。でも、おらいの軒先をとおれば、二十人町に出られんのっしゃ。
 今、この家のあったところはどこかわからない。4年前のことなのっしゃ。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「 通りをつなぐ道 」    宮城野区 二十人町 ~

16.Apr..2006
 藩政時代は、侍町であった二十人町と鉄砲町をつなぐ横丁が3本あります。東から「ネコヤ横丁」、「明神横丁」「於多福横丁」(大正元年仙台市全図)であります。
 写真は、二十人町から鉄砲町に向かって撮った「明神横丁」です。
ところが、昭和11年、東京・塔文社発行の地図には「神明横丁」と記載されています。さて、どうしようかな。であります。
 鉄砲町側に「和光神社」がありますが、「和光神社」と変わるのは明治維新後で、それまでは「和光明神」と呼ばれていました。鉄砲の神様・火の神様から、鉄砲町の氏神さんになったようです。
 辻標によれば、横丁名に「明神」の名前を残したといわれています。そうなると、やはり「明神横丁」と記載したほうが正しい使い方のようです。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「 開けてよ~ 」         東京 谷中銀座 ~

15.Apr..2006
 開けてよ~って言ってるよ。といったら、ちらっと、コッチを見て、にゃ~と、かぼそく鳴いていたニャンコ。
 振り向いた瞬間だったら、よかったのかもしれませんが、後ろ姿が気になるニャンコでした。

PENTAX ME /M50mm F1.7/FUJI PRO 400



~ 「 秋風の中で 」         宮城野区 鉄砲町 ~

14.Apr..2006
 こちらのお店も今は、ありませんと書いてしまったが、4/17も営業をしていました。ごめんなさい。撮しているときに自転車のおじさんがスーッと、ファインダーへ、こちらが撮しているに気づいて「ごめんなさいね」と・・気にされて顔だけあつちの方を向かれた。こちらも、すいません。そんな会話がすんなり出てくるのも、この街がやさしかったからかもしれない。
 改めて、見ると、歯抜けになったと思いいつつも、まだ家並みが残っていた。これ以上でもなくこれ以下でもなし、あるがままの街並。2002年の鉄砲町。
 2006年、お茶やさんとセトモノやさんと提灯やさんが、残っている。時間の問題かもしれませんが、後二年で、どうかわっていくんだろうか?街から離れ、また戻ってくる人もいる。
 どんな街になっていくのだろうか、しっかり見ていきたい。それが、今、私が生きている証だから。

PENTAX ME /M50mm F1.7/FUJI PRO 400



~ 「 コスモスの咲いていた日 」  宮城野区 鉄砲町 ~

13.Apr..2006
 私が、初めて鉄砲町を撮してから、もう4年が経った。村上鍛冶屋さんの店も今ではなくなっている。
 撮した当時は、知らなかったが2005年10月に、土地区画整理事業で、廃業された。
 創業は、1737年(元文2年)に仙台藩の鉄砲鍛冶として創業し、村上清一氏(70)で7代目だったこと。仙台市に残るただ一人の刃物鍛冶だったこと、明治時代に入って、刃物鍛冶となったこと。植木ばさみや 家庭用はさみ、包丁などを手掛けてきたことである。後2年でまた鉄砲町にもどるということですが、6年も職人が仕事を休むと身体がなまるので廃業を決めたと言うことです。
 この写真は、フジプロ400ネガでしたが、曇天の影響を受けて、スキャンが面倒でそのままになっていました。2002年9月26日、コスモスが初秋の風に揺れていた日でした。

PENTAX Super A /A50mm F2.8 MACRO
/PRESTO /D76




~ 「 沼田種苗店 」         宮城野区 二十人町 ~

12.Apr..2006
 二十人町と東八番丁通りの新・交差点近くの「沼田種苗店」さんで、創業は明治20年ということです。
 新・交差点と書きましたが、東口の都市開発になる以前は、「ヌマタのタネ」屋さんから、左折して、仙石線の踏切を渡って、ちょっと進むと東八番丁でした。踏切の幅が昔の八番丁の通りの幅でした。つい最近まで、藩政時代の道幅が残っていましたが、残念なことに記録していませんでした。
 カメラが無かったときは、まだあきらめもつきますが、仙石線が地下化になってすぐ撮せば、まだまだ間に合ったのに、そして、そのころこの近くまで撮っていたのです。非常に残念でなりません。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「 土に還る 」         宮城野区 原町本通り ~

11.Apr..2006
 東海林米穀店の西側の土壁でありました。補修の跡も、ありました。
でも、この土壁も、下見板も、今は、ありません。取り壊され、この土壁をなしていた一部の土は、新しく入れられた砂の下に隠れ、コンクリートに閉じこめられ、また眠りにつくのでしょう。
  明治から現代に至ったように、何年も眠り続けるでしょう。この家をまもってきたように。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「 消えた街並み 」     宮城野区 二十人町 ~

09.Apr..2006
 やっと息抜きの休みなので、原町本通りをまとめていたら、なんと、もう朝、徹夜になってしまった・・爆。
 二十人町、鉄砲町、そして小田原何丁目なのかな、横に突っ切って広げて作られた道路です。
 正面に、家が密集して見えるのが、二十人町の通りです。溜息しかでません。そして、この広い交差点を渡ると、二十人町の通りが続いて、もう1本の広い道路が直交します。
 誰が望んだ道路かわかりませんが、また溜息です。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「 消えゆく街並み 」     宮城野区 二十人町 ~

08.Apr..2006
 昨日UPしたのが、西向きでありましたが、東向きです。真ん中が佐藤蒲鉾店さんです。
 おじさんとおばちゃんが、毎朝、種を仕込んで、手焼きで「笹かま」を焼いています。仙台市内で「笹かま」を手焼きで焼いているところは、この小さなお店だけです。区画整理が進んでいますが、まだまだ健在。
 大手の、阿部かまさん、鐘崎さんにも、美味しい品がありますが、ここもおいしいです。

PENTAX Super A /A50mm F2.8 MACRO
/PRESTO /D76




~ 「 クランク 」     宮城野区 二十人町 ~

07.Apr..2006
 今朝UPしようと思ったが、出勤時間が迫ってきたので、夜になってしまいました。
 右側が更地になっているが、二十人町の特徴である。クランクがまだ残っていました。このクランク、藩政時代から、そのままの形になっている所であります。
 細い十字路を右へ行けば鉄砲町へ出る「明神横丁」と呼ばれていました。左へ行けば榴ヶ岡小学校の裏手にでる道なのです。
 正面は、3軒の木造の建物が残っています。シロセ靴屋さん、隣が、佐藤かまぼこ屋さん、二軒とも現在も営業中です。その隣が、廃業しましたが、レコード店になります。
 右角には、重厚な店構えの呉服店?だったかな?廃業していますが立派な建物が健在です。

PENTAX Super A /A50mm F2.8 MACRO
/PRESTO /D76




~ 「 安附表具店 」    宮城野区 原町本通り ~

06.Apr..2006
 片平丁界隈をUP続けてきましたが、宮城野区へ戻ってきました。以前UPした安附表具店さんです。
 お店の入り口の引き戸は、アルミサッシになっていますが、入り口の丸い電灯に惹かれて寄って撮らせていただきました。
 お店の中に顔が見えれば、お話を聞くことも可能だったのですが、奥にいらしたようなので、写真だけで失礼してきましたが、町内会長さんもしていらっしゃるようなので、お聞きしたいこともたくさんありました。
 そして、前回、原町本通りを撮ったときに、通りの西側入り口に東海林米穀店の建物がありましたが、訪れた4/4は更地になって、新たなレオパレス21の工事が始まっていました。黄土色の土が新たな土に混じっていました。土壁の建物がここにあったという名残だけでした。それもいずれコンクリートの下に封印されてしまうのでしょうね。残念です。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「矢込の瀬 」      広瀬川 青葉区米ヶ袋 ~

05.Apr..2006
 仙台藩・刑場跡に建つ「縛り地蔵」のあるところの南側が、「矢込の瀬」と呼ばれている浅瀬です。
 鎌倉時代の1251年(建長3年)に建てられた京都東山の蓮華王院本堂=三十三間堂(柱と柱の間が三十三間)があり、通し矢が行われていますが、仙台でも、四代藩主・綱村の時代にかけて流行ったということです。
 京都のような「三十三間堂」ではなく、長さだけは「三十三間堂」と同じ、66間(117m)の廊下に片ひさしのかかったものであったということです。
 そこで、弓組足軽から選抜して、通し矢の数を、きそったそうです。的から外れた矢は、広瀬川に落ちるようにして、さらに、落ちた矢は、浅瀬にヤナ場を設けて回収したといわれています。
 その場所が、この辺りで「矢込みの瀬」と呼ばれています。瀬がありば、淵もありまして、広瀬川には、名前の付いた淵と瀬があります。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「仙台藩 刑場跡 」      青葉区 米ヶ袋 ~

04.Apr..2006
 大きく蛇行する広瀬川の流れの東側が片平丁であります。
この場所は、片平丁の西南端のちょっと小高くなっている場所ですが、かつては、仙台藩の士分以上の刑場跡です。言い方を変えれば、斬首する場所でした。農民・町民の刑場は、七北田にありました。現在の泉区で、こちらは磔です。
 1666年(寛文6年)仙台藩の「籠」=牢が、片平丁に移って、刑場も評定河原から米ヶ袋に移りました。牢は、東北大学正門の斜め向かい現代の片平コミニティセンターの所です。
 右の方に、お地蔵さんが見えますが、「縛り地蔵」という、今でもグリグリと縄で縛られています。伊達騒動の忠臣、伊東七十郎が伊達兵部を憎んで暗殺を企てて発覚、片平の牢に収容され、この場所で打ち首になったのですが、その時の首切り役人でお小人衆だった大橋万右衛門が「藩命とはいえ忠臣だった伊東七十郎の首を刎ねた」ことを悔い処刑の翌日、仏門に入り、その後供養のために縛り地蔵を建立したと言い伝えられています。
 現在は、縄で縛って願をかけると何でも願い事がかなうといわれています。RCのお地蔵さんですが、戦災で壊れてしまったので、RC造りとなりました。御利益は変わらないそうです。(4/6一部修正)

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「仙台城 大手門跡」        青葉区 川内 ~


03.Apr..2006
 昨日は、かなり辛口に仙台城について書きましたが、おバカばかりではないということで、昨日の続きを書きます。うしとら櫓ですが、2003年に復元中止になりました。勝ち負けではないのですが、官・学・民の良心の勝利です。
 下の史料は、戦災焼失前の大手門と隅櫓です。近くの二の丸跡には、師団司令部があったために、徹底的に空襲を受けました。戦後今から、40年前頃にも、この大手門を復元(レプリカですが)しようという動きがありました。しかし、現在の写真のように、八木山方面へ向かう重要な交通路となっているために、構想で終わってしまいました。
 この隅櫓の復元も、市民の寄付でまかなわれたと聞いています。大手門を復元するにも、現在では、相当の費用とこのような太い柱をどこから持ってくるか?という問題もありますね。大広間の図面も残っているようなのですが、CGで見ていただけるとわかりますよ。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「仙台城 隅櫓」          青葉区 川内 ~

02.Apr..2006
 仙台の紹介に必ず出てくるのが、この隅櫓と伊達政宗の騎馬像でありますが、このアングルも定番中の定番です。
 この隅櫓のところを右に進んで急な坂を上っていくと、青葉城の本丸跡につきます。
 なぜ本丸跡じゃなくて、こちらが定番かというと、城らしいところは、ここしかないからであります。青葉山全体が城になっているのですが、木々は生い茂り、普通の山にしか見えないのです。
 創建当時は、広瀬川の断崖上に台地があり、その地形を利用して城にしたわけです。天守閣はなく、断崖に沿って、櫓が建って、大広間というバカでかい建物がありました。その大広間や二の丸、三の丸の建物も明治維新で取り壊され、残っていた大手門も戦災で焼け落ち、昭和になってRCの隅櫓が建てられました。
 近年、発掘調査が進み、創建時の石垣が現在の石垣下から新たに発見されて、うしとら櫓のレプリカ騒動がおこりました。また、石垣がくずれかけていることから修復していますが、これも直方体の石を重ねているようですが、本来の石垣は、テーパー状になっていて隙間に石をつめる耐震設計がされているのですが、この昔からの工法はとられていないのです。パイルを打ち込めば解決する問題ではないのです。仙台の文化財はどうなっていくのでしょうか?

PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「南六軒丁から」          片平キャンパス ~

01.Apr..2006
 片平キャンパスの南側の通りが現在の「南六軒丁」ですが、藩政時代は、この通りから現在の片平丁、西公園の北一番町あたりまで「片平丁」と呼ばれ広い通りでした。寛文四年の絵図によれば、SKKのあった南エリアには、大條監物、金津大門など中身の10屋敷がありました。
 正面が「仙台高等工業」SKKの建築学科教室ですが、竣工当時のSKKの正門は、現在より左にあって幅も広いものだったことが、当時の写真に写っています。建物のアーチ部分には、いまも校章がついており、アーチ越しに、当時は、広いグランドが広がっていました。
 私の後方には、私大・東北学院大の土樋キャンパスがありますが、伊達騒動で原田甲斐に切られた柴田外記屋など3つの屋敷がありました。

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