亜哉の2006年5月の「写真日記」
亜哉が撮った5月分の「写真日記」をまとめたページです。
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PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「キンクロハジロ」              不忍池 ~

31.May..2006
 今月も、今日で最後となりました。4月に気分転換で撮った写真を整理して、街道・・・として、たてつづけにUPして、写真よりも字数が多くなりすぎたり、なんかしっくりいきません。
 今日も、少し書いてみましたが、何をとったんだろうと思うような写真だったり、ココロここにあらず、みたいなのも・・・。
 6月は、梅雨入り、本格的な雨の季節になるかと思うと・・またまた気が重くなります。
 本郷界隈に行ったときは、あはっ、えへっ、みたいな感じで撮っていたのですが、仕事の時間が今までの逆なので調子がでません。

 今日がダメでも明日があるさ、明日がダメなら明後日があるさ、ドンドンガバチョドンガバチョ(本当は、違うセリフなんだけどね)

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「右京山」       文京区 本郷  ~

30.May..2006
 本郷界隈、昨日UPしたした六叉路もそうなのだが、今でも印象にのこっている場所があるのです。
 それは、右京山。大きなマンションが建って、ちょっとした丘のような感じです。子供達が遊べるような、こんな遊具もあります。
 別にめずらしい訳ではないのですが、あの貧困の中で樋口一葉が妹を連れて来ていた場所なんだそうです。
 銭がないから、どこぞに連れていってといっても行く場所がない。子供だましみたいな感じだったのではないでしょうか?
 そんな一葉さんがとっても身近に感じる場所だからかもしれません。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「ロータリー」       文京区 本郷  ~

29.May..2006
 本郷界隈を歩いて、偶然に入ったロータリーのある場所、細い道が急に開けてロータリーになっていた。

 もっと引いて撮れば全体が掴めるのだが、右のパン屋さんと左のお宅に惹かれて、近づいて撮ってしまった・・・爆。

 2日目も撮ろうと思ったが、どういうわけかというより、地図を持っていないからなのだが、たどり着けなかった・・やっぱり・・笑。
 そんな感じで歩いていた。時間を忘れてしまうような、のんびりした時間を過ごせた。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「本郷菊坂15番地」       文京区 長泉寺 ~

28.May..2006
 梅の季節、山門の右側は、ブロック塀にビル、左側は、梅の木、そして、雑草・・・、そんな左側のファインダーの中に、徳川時代の菊坂って、こんな感じだったのかな?なんて思ってしまった。
 
 今日の仙台は雨、なんで休みの日には天気が悪いんだろう。カビカビ、ジャンクのリコーオートショットのレストアも終わったし、でも、最近のジャンクは、一度か二度は開けられているものばかり、ピント調整の前玉のヘリコイドは機械用のグリスで重かったし・・機械的・電気的といろいろ、楽しめましたが(笑)、でも天気が悪くて・・つまんない。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「毛細血管」        文京区 本郷 ~

27.May..2006
 街を身体に例えるなら、小路は、毛細血管だ。本郷は、毛細血管がすみずみまで行き渡っている街だ。
 晴れの日は、運動会だ。物干し竿が通りに面している。洗濯日和には、洗濯物が旗めく。小路のハレは、運動会。  

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「定番アイテム」        文京区 台町 ~

26.May..2006
 中学の時の、修学旅行は、日光・箱根・東京だった。東京で泊まった旅館は、思い出せない。ただ、朝、旅館から、数分で赤門がみえたから、本郷界隈に泊まったようだ。
 この鳳明館かといえば、ちがうのかもしれない。一生かけても思い出せないのかもしれない。
 なんとなく、部屋に、こうしたプレートか貼り紙がされていたのは覚えている。修学旅行の旅館の定番アイテムなのかもしれない。
 空びん、この年になるとビールビンが真っ先に浮かぶが、当時の空びん、何のビンだったんだろう。汚れ物って、何んだろう。洗濯物?窓からなげるような余裕はなかったなぁ~。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「竹駒神社 唐門」        岩沼市 竹駒神社 ~

25.May..2006
 唐門の彫刻です。普通は、兎の毛通しといわれる懸魚がつくのですが、ここは、鳳凰の彫刻がついています。
 尾が帯状なので、「鸞」(らん)という瑞鳥かな?と思ったのですが、よくよく見ると、冠毛がついていますので、鳳凰でした。
 
 ハトの奮害をさけるために、金網が張ってあって、細部を見るのも、撮るのも大変でした。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「竹駒神社 楼門」        岩沼市 竹駒神社 ~

24.May..2006
 「おキツネ」さんの前を進むと随身門が眼前に迫る。お寺さんなら仁王門にあたります。
 1812年(文化9年)に建てられた三間一戸の八脚楼門です。桁行ナンボ(メートル表示でちょっと違和感はありますが)、とかの説明もこの門には、ガイド板が付設されているのですが、後に見える唐門には、ガイド板も見あたりません。
 文化財の指定は、岩沼市になっています。県の重要文化財と思っていたんですが市なんですね。国か県か市かで維持費の関係はあるようなのですが、文化財の価値は変わらないと思いますが、やはり、それ相応の指定があってもいいのではと思います。
 二階部分に、神号額が掲げてありますが、仙台藩七代藩主・伊達重村の筆によるものだそうです。
 岩沼市の人口は、4万人で増加の傾向がありますが、なぜか活気がありません。仙台のベッドタウンじゃ寂しいですね。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「コンちゃんのパパ」        岩沼市 竹駒神社 ~

23.May..2006
 昨日UPの「おキツネ」さんと対になっている「おキツネさん」です。
目尻がちょいと下がって、トホホの表情。

 足下には、宝珠が横になって、起こそうとしている感じに見えます。
 向かい側にたっている「コンちゃんのママ」・・「あんた、なんで大事なものころがしちゃったのよ」、パパ「わわわ、いま起こそうとおもってるんだから」、ママ「早くしなよ」、パパ「うううう」、てな会話が聞こえてきそうです。
 すごく、現実味があるおキツネさまでございます。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「おキツネさん」        岩沼市 竹駒神社 ~

22.May..2006
 岩沼市には、日本三大稲荷神社のひとつ「竹駒神社」が建っています。お稲荷さんには、おキツネさんがいますので、稲荷神社はキツネを祀っている。と勘違いする人もいるようです。

 そういう私も、そう思っていた時期があったのです。狛犬さんは、見ても、稲荷神社のおキツネさんは、どこも同じとも思っていました。
 稲荷社のおキツネさんは、狛犬さんと同じく、「神使(かみのつかい)」「眷属(けんぞく)」などと呼ばれ、「神さまのお使い」をする霊獣だそうです。
 ということで、それ以来、キツネさんの前も、素通りしないで見ています。このおキツネさん、こわそうな顔していますが、小ギツネが足下でじゃれていますね。なんかほほえましいキツネさんではないでしょうか?

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「街道をゆく 」      岩沼市 旧・奥州街道 ~

20.May..2006
 岩沼市は、仙台から、約18キロ南にあり、奥州街道と陸前浜街道との合流する要衝で、藩政時代は、城に準じる「要害」と呼ばれた「館」がおかれたところです。

 館跡は、現在の岩沼駅がつくられるときに丘陵が削られて、遺構は残っていないようです。

 街並みは、仙台の近くなので、昭和の建築物くらいだろうと思っていましたが、行ってみたら、藩政時代のナマコ蔵が、旧・国道4号線=奥州街道沿いの商家に残っていました。
 説明板などは、全くなく。現在も店舗として使われているところもあり、築何年頃とかあってもいいなぁと思いつつも、かつての繁栄ぶりに思いをはせることは可能です。 

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「夕陽の中で 」     青葉区 旧・上染師町 ~

20.May..2006
 「開福湯」の横側が月極有料駐車場になっている。ほぼ満車である。開福湯に入ったことはないが、結構大きな銭湯のようだ。
 
 撮影した日は、夕方近くになっていたので、太陽が低い位置になっている。ここを撮るならやはり午前中が良いようだ。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「銭湯のあった街 」     青葉区 旧・上染師町 ~

19.May..2006
 「開福湯」の暖簾が入り口のガラス越に見える。もうすぐ銭湯が開くのだろうかと思ってしまうが、もう開くことはなく、明治に創業した開福湯は、2003年の12月に廃業をした。
 
 原町本通りの「錦湯」の銭湯画を書いた橘正二氏もここの銭湯画を描いていたという。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「染師たちの街並み 」     青葉区 旧・上染師町 ~

18.May..2006
 仙台城下の幹線道路は、仙台城大手門から、東に向かって、大町・日形町(後の新伝馬町(しんでんまちょう))・名懸丁(なかけちょう)の東西幹線と、芭蕉の辻で直交する奥州街道でありました。
 二日町、国分町、南町、柳町・北目町(きためまち)・この写真の染師町・田町(たまち)と続いていきます。参勤交代でも通った奥州街道ですが、今では狭い道ですが、ここが幹線道路だったわけです。

 染師町は、染め物師を住まわせた町人町で、明治以後に、南染師町ができて、この辺りは上染師町(かみそめしまち)と呼ばれるようになりました。

 昭和34年頃は、染師たちが、染め物を川でさらしている光景は、南染師町で見られました。

 マンションが建っていますが、ところどころに昔の木造家屋が残っており今もお店を開いています。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「 変わったね 」        東八番町踏切付近  ~

17.May..2006
 二十人町の沼田種苗店を曲がると仙石線の踏切があった。ビルの影になっているところをのぞいたら、路盤跡が残っていた。

 ここも、最後は、宅地になってしまうんでしょうね。正面にはプレハブ倉庫のような建物も建っているし、それにしても、こんなに線路って狭かったかなぁ。でも、両側の建物は、そのままだから、やはりこんな所を走っていたんですね。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「 麻布 」             孝勝寺 釈迦堂 ~

16.May..2006
 初めてみたときは、一瞬、キモイなぁ・・でした。この黄色のものはなんだろうと思いました。もちろん、仙台市指定有形文化財ですから、触りませんでした。
 
 黒いのは、黒漆で、黄色に見えるのは、麻布です。修復するには、「叩き」とよばれる道具で、古い漆を剥がして、木地を出して、穴や傷を湖粉、地の粉を混ぜてパテ状にして、平らにしてから、麻布を着せて塗装面に強度を持たせてから漆を塗って研いで、また漆を塗って研ぐという行程だということです。
 漆も国産はかなり高いので中国産が使われるそうです。このくらい痛んでいると文化財保護も大変ですね。

「Round Eye RF45」 /WOLLENSAK 90mm 
 f:6.8 RAPTAR WIDE ANGLE /TRY-X /D76




~ 「 Round-Eye-RF45 」    仙台城 天守台 ~

13.May..2006
 天気は、あまりよくなかったのですが、仙台城の天守閣予定地であったいわれている天守台です。
 仙台城は、政宗も天守閣は建てていませんが、予定地として地割りはしていたようで、このような基壇のみつくっていました。
 後に、この基壇上に、政宗の騎馬像ができました。

 左側に写って欲しくないものがあったので、ちょこっとシフトしたつもりなのですが、シフト量が少し大きかったようです・・笑。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「禅宗様」          木ノ下 準胝観音堂 ~

12.May..2006
 準胝観音堂です。軒部分は、二軒、地角飛角の平行垂木で、粽柱の上には、頭貫木鼻の上に台輪木鼻がのっている禅宗様の特徴を見せる建物です。

 木鼻の上に見えているのなんでしょう。組み物と言われていますが、私は、まだよくわかりません。ここらへんが理解できると、いろいろと先人の知恵を知ることができそうです。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「たるき」          孝勝寺 釈迦堂 ~

11.May..2006
 釈迦堂の垂木(たるき)を見ていて、ずっと、のけぞって見ていたら、隣の五重塔の垂木も見えてきました。どちらの建物も垂直線がでていませんが、垂木姿も、いいなぁ~・・笑。下から覗いていいのは、垂木構造ぐらいかな?まちがっても、階段下から撮っちゃだめ~!
 釈迦堂の垂木は、二段になっています。二軒(ふたのき)と呼ぶそうです。上の垂木を、「飛檐垂木(ひえんだるき)」、下の垂木は「地垂木(じだるき)}と呼ばれ、断面が、上下の垂木が四角なので、「地角飛角」と呼ばれるそうです。
 屋根は、何?切妻、入母屋、寄棟造、垂木は?、「地角飛角」の平行垂木で・・・なんて、見ていると、時間がどんどん過ぎてしまいますが、のんびり見ながら撮していくのが、私の「最近の撮し方」に変わりました。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「手水舎」          若林区 陸奥国分寺 ~

08.May..2006
 薬師堂の手水舎。丸い柱で下の方が太くて、結構古そうですが、いつ頃建てられたかは何の説明もありません。
 手水鉢(水盤)には、明治40年と彫られています。こんな感じでいろいろファインダー越しに覗いていたら、水盤の水を飲んでいた鳩もなにやら、こっちを覗いています。右にカメラをふると右へ首をふります。しばらくすると、別の鳩が飛んできて、そのうち、バタバタと鳩が私の廻りに寄ってきました。
 エサをもらいに寄ってきたようです。この調子で、礎石を撮すと、礎石の上に鳩が1羽、2羽と舞い降りてきます。エサでもあげてハトの恩返しを期待してもよかったのですが・・爆。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「望月宋屋句碑」          若林区 木ノ下 ~

06.May..2006
 「極楽や 人のねがひの 花の影 京都 富鈴房 」と彫られています。宋屋は、京都の俳人で、1745年(延享2年)仙台に数日滞在したときに建立したそうです。

 句を詠んで、碑を建てて立ち去るなんて、忙しい人だったんですねぇ~。右となりには、大きな「あやめ草・・」・の芭蕉碑、左隣には、傾いていますが、大淀三千風追善碑があります。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「塔回廊」          若林区 陸奥国分寺跡 ~

05.May..2006
 今日は、亜哉の命日なんですが、毎年、この時期になると、やっぱり思い出します。線香つけて、墓参り。
 
 陸奥国分寺の塔跡の基壇が後に見えますが、この塔の回りが回廊になっています。中央の大きな国分寺には、この塔回廊があるんですが、地方の国分寺にあるのは、めずらしいことだそうです。
 
 回廊の真ん中に、ど~んと陣取っているのが、樹齢300年のアカカシ・・基壇上にも、この木が生えていて、塔跡もさながら基壇を鉢に見立てると盆栽みたいに見えてきます。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「気になるなぁ」             若林区 木ノ下 ~

04.May..2006
 礎石があるところに、こういう石がゴロンとあると、かなり気になります。こんなところにあったかなぁ~。どこにあったんだろう。なんて、いろいろ考えてしまう。

 地中に埋まっている礎石は、発掘調査後に埋め戻しをしているし、ただ、レプリカ石というのも否定できないし、地表にでている礎石がすべて当時の石とはかんがえられないし、う~気になる木じゃなくて石ですね。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「年月」             若林区 木ノ下 ~

03.May..2006
 陸奥国分寺の発掘調査が入ったのが、昭和30年~昭和35年であった。その間に主な伽藍配置は解明されたが、まだ手が入っていないところもあった。
 これから、寺域内にあった学校の移転等で、また再開できるような状態になってきており、いよいよ全容解明がされるかと思うと、うれしいものである。
 しかし、自然の力は、偉大である。境内にあるアカカシは、発掘後整備した敷石を持ち上げている。中には、樹齢300年、市の保存樹木の指定になっているアカカシもある。ちょうど、政宗が原野に仁王門・鐘楼・薬師堂を造ったときには小さな木だったのだろう。今じゃ、このとおり、遺跡か樹木かの論争が始まるときがくるのかもしれない。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「陸奥国分寺 仁王門」    若林区 木ノ下 ~

02.May..2006
 昨年、撮しておいた陸奥国分寺跡に建つ、仁王門です。今日、明け番で行ってみたところ、この門が無くなっていました。
 こちら側が、正面なのですが、薬師堂の横からはいったので、びっくり。こちら側から入れば、なくなっている訳がわかったのですが、・・平成の大修理で解体修理です。

 このままじゃ、倒壊の恐れがありますから、致し方ないでしょう。どのように修理されるか楽しみです。ただし、コンクリートだけはやめてね。礎石は、シートで覆われていたので、見ることが出来なくて、少し残念でありました。

 このつっかえ棒の姿が、天平時代の南大門跡に、伊達政宗が建てた仁王門の最後の姿ですから、撮っておいて良かったです。
 また天平時代の伽藍配置の礎石の配列の中心軸と、政宗の建てた仁王門と薬師堂の中心軸がズレていることもわかりました。
 仁王門が解体撤去中でも、なぜか得した気持ちになってしまいました。

PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「天神下」          宮城野区 榴ヶ岡 ~

01.May..2006
 今日から5月、若葉の季節には、まだちょっと早いかな?
6年前まで、正面のビルのところにJR仙石線の線路があって、電車が走っていたなんて想像もできなくなっている。
 このビルから左側は、現在の宮城野大通りだが、天神下と呼ばれていて、寺があれば墓地もあった。そして、くさむら塚もあった。ビルの右側は、この辺りまで東十番丁と呼ばれていた通りで、藩政時代には、川が流れていた孫兵衛堀であった。
 線路脇が石垣になっていて、その一段上が前方に見えている銀杏並木の歩道があった。秋には黄色の葉っぱが金色に輝いて、葉っぱが散り始めると、ギンナンひろいに線路脇まで人が降りてくるときもあった。地元のばあさん達からすれば、毎年の恒例。電車が近づけば踏切の警報機が鳴るし、気をつけているつもりらしい。幸いギンナンひろいで事故にあった人はいなかった。

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