亜哉が撮った3月分の「写真日記」をまとめたページです。 |
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PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「本部事務局」 片平キャンパス ~ |
31.Mar..2006 正門を進むと、2階建ての建物につきた当たります。旧制二高の建物から何度か改修されて現在に至っている本部事務局棟です。 突き当たりの道が、桜小路で、左へ曲がれば北門、右に曲がれば南門に通じ、私の立っている道が、廃道になったかつての弾正横丁になります。 事務局棟の後に見えるのが、SS30(エスエス・サァティと呼ばれている住友生命仙台中央ビル)で1989年オープンした仙台初の超高層ビルで、隣がNTTドコモビルの電波塔です。 片平キャンパスがビル街の歴史的建築物の空間になっていることがわかります。この空間をそのまま残して欲しいものです。 明日から4月新年度になりますが、今日、45号線を通った時に、原町本通りの、旧・東海林米穀店の建物が更地になっているように見えました。はっきりと確かめていませんが、また行ってみます。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「旧制二高・書庫」 片平キャンパス ~ |
30.Mar..2006 昨日から、また風と雪まで降ってきた。これが最後の雪かもと思いつつ、積もりはしないが、なおさら寒さを感じる。 赤レンガでできた立方体ブロックのような建物です。完成したときの写真を見ると、後の三本の木は細く頼りない感じで写っていましたが、今では、反対側から撮ると建物が木の陰に隠れてしまうように大きく育っています。 ここも「Round Eye RF45」では、あおりすぎて失敗しました(シフト量最大でしたから頭でっかちになりました)が、今日は、ピングラを覗いて、あおりの量とレンズの移動位置を確かめていました。10mm位シフトさせるだけで良いみたいですね。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「旧・帝大 中庭にて」 片平キャンパス ~ |
29.Mar..2006 610さんの「Round Eye RF45」と連れていったペンタックススーパーAの1コマです。スーパーAは、AEロックが出来ませんが、普段はあまり露出を、外すことはないので出番は多いです。ただし、こういう場合のAUTOは、厳しいです。 この蔦に青葉が茂り、秋の紅葉となれば、また雰囲気も変わります。午前と午後でも、また変わりますから、近くに住んで居る方がうらやましくなっちゃいます。 |
「Round Eye RF45」 /WOLLENSAK 90mm f:6.8 RAPTAR WIDE ANGLE /TRY-X /D76 ~「旧・東北帝大 附属図書館」 片平キャンパス ~ |
28.Mar..2006 610さんから、お借りしている「Round Eye RF45」の1コマであります。撮影当日は、冠布を忘れてしまって、小さなダークバックで代用しましたが、あおりすぎて、失敗したカットもあります。 このカットは、現像ムラがありますが、やはりシノゴです。この大きさではよくわかりませんが、すっきり解像しています。 極め付きの失敗は、現像タンクの中で、フィルムが外れて、2枚がくっついて失敗・・・。35mm4本用小型丸タンクに、乳剤面をタンクの内側にして入れて、ちょうど2枚、こっちの現像は、大成功。 次回は、きちんと撮ります・現像します。トホホホホホ |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「東北大、正門」 片平キャンパス ~ |
27.Mar..2006 1925年(大正14年)竣工の、東北大学片平キャンパスの正門になります。門柱は当時のままですが、鉄製の扉は、戦時中に供出され、後に取りつけられたものです。 さて、私の後方はというと、伊達政宗の霊廟・瑞鳳殿の方向になり、「正門は瑞鳳殿を向いている」とよく紹介されています。間違っても、魯迅の下宿があるなどと書いては間違いなのです。 今日も3時間ほどキャンパスを歩き続けました・・爆。もちろん、今日は、610さんよりお借りしている広角シノゴカメラと一緒です。結果は、今から、現像です。 桜のつぼみはだいぶ大きくなりましたが、まだまだです。ニュースを見ると今日が仙台の「梅の開花宣言」・・平年より27日遅く、昨年より50数日遅いそうです。春は、近くまで来ているようなのですが、まだ先ですね。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「東北大、本部事務局東棟」 片平キャンパス ~ |
26.Mar..2006 東西南北の棟で、窓の配置から形まで違う建物が、現在の人事部・庶務課・国際交流部がある本部事務局の建物です。 元は、明治24年の旧制二高・物理実験室の建物でしたが、昭和9年頃に増改築されたようです。 現在の片平キャンパスに残っている明治期の建物は、医学専門学校時代の「魯迅の階段教室」と「職員集会所」の2棟だけのようです。それでも、戦災をくぐり抜けて残っているのですから立派です。 仙台は、例年、4月10日頃が桜の開花宣言が出されます。キャンパス内の桜も咲き始めると建物の姿が見えなくなります。桜の咲くまでが全景を撮るには良いようですね。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「旧・東北帝大、電気通信研究棟」 片平キャンパス ~ |
25.Mar..2006 現在の「多元物質化学研究所素材工学研究棟」ですが、昭和4年竣工です。多元物質って何のこと?しかし、旧・東北帝国大工学部電気通信研究所と言われれば、いつもお世話になっている八木宇田アンテナとか電子レンジのマグネトロンとか発明された所と言われれば、身近に感じることが出来ます。八木宇田アンテナは、宇田さんの名前がいつのまにか呼ばれなくなって、八木アンテナと呼ばれていますが、画期的なアンテナですね。私も、いろいろ計算した時期がありました。 私が、電気について学んでいた頃は、トランジスターからICに移行するころでした。それでも、教科書は、真空管・・。こんなものを学習しても何にもならないからといいつつも、教科書だから一応やるよ。ということで、教諭がオリジナルのプリントをつくり、三極管はトランジスター、五極管はFETだぞ。なんてやっていました・・笑。 今では、その頃の学んだのは、基礎の基礎で、どちらかというと強電の方が役にたってるかな?程度です。 弱電の方は、カメラの露出計のレストアで役立っています。ただし、最近のチップ部品がゴテゴテ付いているのは無理です・・爆。 |
PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~「桜小路」 片平キャンパス ~ |
24.Mar..2006 東北大学構内の、北門から南門へ通じる通りが「桜小路」です。ここも藩政時代の武家屋敷が両側に建っていた場所になります。 重臣の屋敷の位置が知りたくなったので、ついに「仙台城下絵図」の複製を入手、カメラ以外では、久々の高い買い物となってしまいました。 正保2年、寛文4年、元禄、天明、安政などの絵図集で、1枚が広げると畳半畳くらいの大きさで、なかなか楽しいです。もちろん屋敷名は、ルーペで覗かないと私の視力では見えないのですが・・笑。 寛文事件後の絵図では、屋敷が空白になっていたり、現在の道が藩政時代と変わっていないところとか、新たな発見があったりと、値段のことなど吹っ飛んでしまった。良い買い物をしたと思います。 このところ、気が重いことばかりつづいたが、気が晴れてきた。610師匠からも、シノゴ広角カメラのメールが届いた。さぁ、藩政時代の屋敷跡に立つ近代建築を撮るぞ~。 この桜小路の松並木、右側は真っ直ぐなのに、左側は、海辺の松のように斜めになっている。なんでだぁ~。これも調べてみましょ。正面右側の茶色の木はメタセコイヤの並木です。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「精密工学科工場?」 片平キャンパス ~ |
23.Mar..2006 古い建物ですが、ネットで調べると『昭和14年竣工の、「精密工学科工場」』となっています。キャンパスの南門を通るとすぐ見えますから、旧・SKKの敷地内になります。 右側面は、大きな扉がついているので、近年は、車庫か倉庫に使われていたようですが、反対側の通りに面した側は、雑草が生い茂りかなり傷んでいます。 東北大学の史料室に保管されている「昭和7年のSKKの全景」を撮影した航空写真を見ると、この建物に酷似した建物が写っていますが、私は、なんとも判断がつきません。古い建物だけに、ルーツを知りたいと思っています。 窓の配置を見ると、史料室の大正3年頃のSKK「工学専門部機械工学科仕上工場」もこのような窓が多くある木造の建物だったようです。重厚なゴシック調の本館教室(現存せず)と比較して、工学科の工場のギャップが感じ取れます。 |
PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~「旧・弾正横丁」 片平キャンパス ~ |
22.Mar..2006 旧・東北帝大付属図書館の前の通りが、藩政時代の旧・弾正横丁と呼ばれていた道です。そのまま進めば、正門に続いています。 通れ抜けできるために、自転車や徒歩の若いおかぁさん達が近道のために構内を歩いています。若いおねぇさん達も、部外者であっても東北大のおねぇちゃんに見えるのも、私の大学コンプレックスかもしれません。 東北大の構内は、かつての仙台藩の重臣達の屋敷跡ですが、右側の元理学部の所は、政宗の四男宗泰を初代とする岩出山伊達家の屋敷で、維新直後、伊達邦直は家臣一統を率いて北海道に渡り、あらゆる辛苦に耐えて石狩当別の開墾に成功した。(亘理伊達家は伊達市の開墾・札幌白石区は、白石の片倉家が開墾)本庄陸男の小説「石狩川」のモデルになった。岩出山伊達氏は代々「弾正」という通称を襲名することになっていたところから「弾正横丁」と呼ばれるようになった。明治になって、廃道となり、構内の道になっている。 現在の「弾正横丁」は、金属材料研究所の前の通りで、「金研横丁」とも呼ばれている。 |
PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~「SKK Dust Chute」 片平キャンパス ~ |
21.Mar..2006 昨日と同じく今日も宮城県内は、暴風が吹き荒れています。朝5時頃から風速30mの風、交通機関は乱れています。早々とバトンタッチして帰ってきましたが、家のサッシもガタガタ音をたてて揺れています。 写真は、仙台高等工業学校(SKK)のダストシュートですが、もう使われなくなっているようです。私が驚いたのは、1930年(昭和5年)竣工の建物に、この設備がついていることだった。 ゴミの搬出口は朽ち果てていて中に何やら入っている。ガサゴソと見てみたい気もするが、見たあとのことを考えると気が引けた。 排水溝も建物の曲線にあわせているし。建物の色も、後で塗られたモノではなくスクラッチタイルの色と石材の色、建築学科教室に相応しいデザインだと思います。 |
PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~「仙台高等工業学校 建築学科教室」 片平キャンパス ~ |
20.Mar..2006 仙台高等工業学校(SKK)の歴史は古く、明治期に創設されていますが、建物が残っているのは、1930年(昭和5年)竣工の、この建築学科教室だけです。SKKは、1949年(昭和24年)、東北大学に包摂され、「東北大学仙台工業専門学校」になり、1951年(昭和26年)に消滅しました。 外壁は、スクラッチタイル張りで、細長い教室棟ですが、この写真には写っていないのですが、入り口のアーチ型のファザードは、通り抜けできるようになっています。 現在は、情報科学研究科の建物として使われていますが、階段室の小さなアーチ窓が、リズムを奏でているようなデザインですね。 今月も、後10日ですが、4/1から転職希望が受け入れられるかどうか?今週は、いそがしくなりそうです。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「武道場」 片平キャンパス ~ |
19.Mar..2006 大正12年に建てられて現在も武道場として使われている建物です。こちらから見ると出窓部分の下見板に当時の面影がありますが、近年、右半分の下見板が、サイディングボードで張り替えられて違和感のある建物になってしまっています。サークル関係の建物はこのようになってしまうのだろうか。 今日も、晴れているのに、風が強い。昨日は、晴れていたが寒かった。なかなか、出歩けない。根性がないなぁ。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「旧・東北帝大 工学部金属工学教室」 片平キャンパス ~ |
17.Mar..2006 1924年(大正13年)に建てられたもので、外側は、スクラッチタイル張りだが、中庭から見るとツタが絡んでいてまるで巨大な廃墟のようにも見える。建物自体は、3階建てだが、中庭に立つとこんな感じである。 ツタの葉が色づく秋は、この建物を撮影する人も多いが、私が行ったときは誰もいなかった。もっと近づいて撮してみたが、パースが出てしまって、魅力半減。きちっと撮したいと思った場所である。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「旧・東北帝大 工学部金属工学教室」 片平キャンパス ~ |
18.Mar..2006 昨日と同じ建物ですが、絡まるツタと、細いアーチ窓に細長い上下窓、ガスの配管や、空調の室外ユニット、雨水管、木製の柵、探すといろんなモノが見えてくる。ゴチャゴチャしているようで、すっきりしているようで、人を寄せつけないような威厳があって、開放感もあってそんな不思議な建物です。 |
PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~「東北帝大 附属図書館」 片平キャンパス ~ |
16.Mar..2006 1925年(大正14年)に建てられたもので、1階の外壁は煉瓦仕上げ、図書閲覧室の2階の白壁との対比。そして屋根上の銅板仕上げの小さな塔が特徴であります。 設計者は、仙台の郡山堀を築いた小倉撫松の曾孫にあたる小倉強氏で、建築デザイナーであり、瑞鳳殿の調査等も行っている、後に、東北帝大の名誉教授になっています。国立科学博物館上野本館も氏の設計である。 昭和61年に修繕されて、現在は、東北大学記念資料室として開放されている。 モノクロでも撮っているが、この色彩はやっぱりカラーだよなぁ。なんて思ってしまう。キャンパス内には松の木が目立つが、近世に植えられた松もあるが、藩政時代は伊達一門の武家屋敷があった名残りの大きな松も残っています。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「旧制・二中物理学教室」 片平キャンパス ~ |
15.Mar..2006 左側の建物は、1930年(昭和5年)に竣工した現在の「多元物質科学研究所反応化学研究棟」など、右側は、旧制・二高、物理実験室で、現在は、「人事部・研究協力部」などの建物で、竣工年は、明治23年であlります。 昭和初期の建物と明治の建物の間に、ちょろっと見える姿、自転車置き場など、なんかいい感じ。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「旧制・二中物理学教室」 片平キャンパス ~ |
14.Mar..2006 旧制・第二高等中学校、物理学教室で、竣工年は、明治23年であlります。東北大学片平キャンパスの現存している明治期の建物は、ほとんどが、旧制・二中時代(1894年に、旧制・二高となり1925年(大正14年)に旧制・二高は、現在の雨宮キャンパスへ移転しています)に建てられたものであります。 竣工当時は、階段教室となっていたが、この場所に移築された時に改修されているということです。現在は、職員集会所となっていますが、メインストリートから、ちょろっと見える姿が良いですね。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~「旧・東北帝大理学部生物学教室」 片平キャンパス ~ |
13.Mar..2006 大正12年、仙台初のRC造りで、玄関は、ゼツェッション様式である。円形コーナーが特徴で、重厚でおしゃれな建物であります。 場所的には、構内の北西端に位置しているが、東北大学は旧・武家屋敷があったところで、一応フェンスはまわっているが、車で構内に入らなければ、通りに面して、小さな入り口があるので、正門・北門・南門以外からでも、通り抜けできる。 この生物学教室も、現在は、宮城放送大学として使われている。東北帝大、旧制二高、旧制二中、医学専門学校、仙台高等工業高(SKK)、宮城県女子専門学校など明治23年~昭和に建てられた当時の建物が残っている。 立て替えられた建物もあるし、補修された建物もある。なかなか見応えがあるが、建物全体の撮影となると、ちょっと油断すると広角レンズのパースとレンズの持つ収差でグニャグニャである。 この場所も、私の建っている所は、少し盛りあがった小さな林の中みたいになっている。木々が芽吹く頃には、足場も悪く、枝がジャマをしそうだ。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~ 「本郷館」 文京区 本郷6丁目 ~ |
12.Mar..2006 昨日は、魯迅の仙台での下宿先をUPした。仙台の「佐藤屋」には、2ヶ月間下宿をしたが、環境が良くなく引っ越した方が良いとアドバイスを受けていたことを司馬さんは「街道をゆく」で触れている。 しかし、1879年(明治12年)「宮城集治監」現在の宮城刑務所が若林城へ出来ており、魯迅が仙台の医専に留学した1904年当時は刑務所は・・と思っていたら、「刑務所支所」が昭和11年の地図に載っていた。なるほど納得。 その後、魯迅は、医専を中退し仙台を離れていく、その後、1908年、東京本郷区駒込西片町の夏目漱石の旧居に友人と10ヶ月住んで、帰国していっています。 仙台と西片・・魯迅つながりが出来ました。歴史は、どこでどう結びつくかわからないですね。 この写真の本郷館も1905年(明治38年)に建てられているので、魯迅も見ていたのかもしれませんね。 |
PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~ 旧・下宿 「佐藤屋」 青葉区米ヶ袋1丁目 ~ |
11.Mar..2006 昨日は、夕方から、歓・送迎会があったので、午後から、東北大学片平キャンパス内の散策と撮影をした。 東北大学・片平キャンパス内は、明治期から昭和まで、近代建築物の宝庫であるが、構内に入ったのも撮影をしたのも初めてであった。灯台もと暗し。 敷地の一番北側に、現在は、放送大学として使われている建物があるが、その道路を挟んだ向かい側に、明治期に建てられた、古ぼけた1軒民家が建っている。 大正時代に一度改修がされているが、東北大学医学部の前身である医学専門学校時代に魯迅が(仙台には、23歳~25歳まで住んでいた)2ヶ月間ここに下宿していたのである。 魯迅の著作に「藤野先生」があるが、魯迅が講義を受けていた当時の医専博物・理化学教室(階段教室)もキャンパス内に保存がされている。ただし、残念であるがフェンスで囲われている。フェンス越しに見ることはできるが、階段教室の前に建っている建物の改修工事の為に、今回は、ちらっとのぞけただけである。 この佐藤屋は、仙台市でも、魯迅ゆかりの地として保存が決定したようだ。一帯がマンションが立ち並んでいる中で、佐藤屋の孫にあたるおばあちゃんが、守ってくれていたのである。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~ 菊富士ホテル跡 文京区 本郷5丁目 ~ |
10.Mar..2006 本妙寺坂を上っていくと、空に向かって歩いているような錯覚を覚える。本郷台地の高低差はおもったよりアップダウンがあるのだ。 本妙寺跡を探すが、寺院らしい形跡は見つからなかった。当然、明暦の大火以降100年単位で時が経っており、街も変わって当然の話なのである。それでも、どこかに形跡を見いだしたいのが私の病気なのである。 公認会計士団体のビルの向かいの小路を進むと、この場所にでた。偶然なのだが、かつての多くの文化人が止宿した菊富士ホテルがあった場所である。眼前にビルがあるが、高台に位置している。 近藤富枝の著作の中に『本郷菊富士ホテル』がある。その中に、竹久夢二が宿代の代わりに書いた絵が玄関にかけてあったという記述がある。明治に下宿屋として誕生し、大正デモクラシー、関東大震災、第二次大戦と軍靴の音がヒタヒタと聞こえてくる時代に自由に文学の華を咲かせた文化人たち。この建物が残っていれば・・と思うが、戦災で焼失しているのである。 今日は、東京大空襲の日、逃げる途中で、髪の毛や衣服が自然発火するほどの灼熱地獄であったという、多くの罪もない人々が焼き殺され、多くの文化遺産も焼失した。人間の最も愚かな行道・戦争によって・・合掌。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~ 本妙寺坂 文京区 本郷4丁目 ~ |
09.Mar..2006 菊坂から江戸時代の振袖火事(明暦の大火 1657年(明暦31月)の火元となった本妙寺が、この坂を上っていったところにあったということで本妙寺坂となっている。 明日は、3月10日、61年前に東京大空襲があった日である。この江戸の大火が東京大空襲と無縁ではなかった。 当時の米軍指令官メイルは、江戸の大火が強風の吹くときに発生していることから3月10日を選んでいた。また荒川・隅田川の堤防沿いに焼夷弾を落として人々の退路を断っているのである。明らかに米軍の行ったジェノサイドである。 戦後、ノーベル平和賞を受賞している当時の佐藤栄作氏は、勲一等旭日大綬章を彼に贈っている。「我が国防衛力の拡充強化に関して、米軍の対日協力、援助に寄与した」という理由であった。そして当時の防衛庁長官は小泉純也氏、小泉純一郎氏の父であった。歴史は繰り返しては、ならないのである。 被害者としての日本・加害者としての日本、どちらも風化させてはならないと感じる今日この頃である。ちなみに、仙台空襲は7/10であった。 |
EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76 ~ 本郷館 文京区 西片2丁目 ~ |
08.Mar..2006 本郷弥生交差点から左折して西片と本郷の境界になっている道路を菊坂下へ向かって歩いてみた。 時折、チリリリリリーンとベルの音が鳴る。どこかで聞いたようだが、ピンとこなかった。振り返れば、自転車が近づいてくる。そのまま脇をすり抜けていく。歩道を歩いていると、後から聞こえてくる自転車のベルに何回か出くわした・・爆。 仙台とは、ちょっと違うなぁ~。仙台じゃベルの音は、あまり聞こえない。スーッと近づいてブレーキの音で振り返ると「すいませ~ん」で側方通過・・爆。 そんな経験をしながら、ふと見れば、ちらっと見えた。あの明治38年築の本郷館じゃござんせんか!!見つけた。見つけた。と、喜んじゃいました。洗濯物が干されていたので、住んでいる人がいるんだぁ~と、また喜んでしまった。 |
EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76 ~ M邸 文京区 本郷4丁目 ~ |
07.Mar..2006 明治39年頃の建築で、秩父セメントのM氏が現在も住んでいらっしゃる大邸宅。漆喰の塀に並んで作られている小さな部屋は書生達の部屋だとdaddyさんから教えて頂いた。 この建物を残すという意志がなければ、残っていない建物ですね。本当に手入れが行き届いていて気持ちがいい日本家屋でありまして、お宅というより、やっぱり邸宅ですね。 |
EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76 ~ 東京市営真砂住宅 文京区 旧・真砂町 ~ |
05.Mar..2006 大正12年に建てられた、マンサード屋根の住宅木造一戸建て住宅。このまま喫茶店になってしまうようなそんな住宅でした。 関東大震災の復興事業で、右京山の道路に沿って建っていました。第1期の大正12年1月、第2期の同年7月、第3期の大正14年3月に分けて建てられた住宅のうち、このマンサード屋根の住宅は第2期に建てられ、現在2棟が残っています。工期ごとにデザインがことなっていたというから、建物が並んでいたときは異国情緒がただよっていたのかもしれない。 このお宅は、屋根が瓦拭きとなっていますが、もう1軒のお宅は、スレート拭きで、玄関に楕円形の陶器プレートで「第47号」と旧漢字で書かれていました。 家賃は、どのくらいだったのだろうか?関東大震災以降の住宅供給は、同潤会アパートと結びついていったのだろうか?そんなことも考えながらあるいていました。 |
EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76 ~ 旧加賀屋敷御守殿門 文京区 本郷7丁目 ~ |
04.Mar..2006 旧・加賀藩江戸上屋敷跡の、徳川家から嫁さんを迎える時に建てた朱塗りの門の前で、東大入試を終えてくる受験生を待つ人々。東大赤門前の1コマです。 ところで、前田家に嫁いだのは何代将軍の娘?てなことは、気にもとめていなかったが、ナント、11代将軍・徳川家斉の娘であった。なぜナント!なのか、側室40人、子女55人だもんね。ナント、パワフル。幕府の財を、大奥にどんどんつぎ込んだお人の娘です。 持参金もかなりな金額で、前田家が、朱漆の門を建てて迎えても、充分な金額だったような話であります。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~ 今度は、どっち? 文京区 本郷3丁目交差点 ~ |
03.Mar..2006 同じ春日通りなのに、国道254号と都道府県道だから、都道453号かな?本郷通りは、国道17号になっているんだぁ~。などと、見上げて写真撮っていたら、周りの人も見ていました。 春日の局さまに、ちなんだ「春日通り」名前がいいですねぇ。映画やドラマでも春日の局役は、綺麗な女優さんが多いようで・・。綺麗でなかったら・・・、ん~、困ってしまう。恐らく通りの名前には、ならなかったかもですね。 仙台にも人名が通り名になった姉歯横丁と呼ばれる通りがあります。荒町から真福寺門前まで通る侍町で寛永年間に成立した小路ですが、姉歯新左衛門の屋敷があったことから名前がついています。でも、あの姉歯さんではありませんので石はぶつけないでね。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~ 今度は、どっち? 文京区 本郷3丁目交差点 ~ |
02.Mar..2006 回れ右して、進んだら・・・また、交差点に・・・。今度は、どっちだろう。曲がるのかな、直進かな?このへんに「かねやす」さんがあるのかな?「本郷もかねやすまでは江戸の内」の埋め込み型のレリーフを見たいなぁ~でも、どこかわからない。 横断歩道の側に、道路案内標識がありました。「本郷通り」「春日通り」と書いてあります。ここが本郷三丁目交差点なのかな?と思いつつ、東大はどっちだろう。坂になっているため、ビルしか見えません。 見送り坂・見返り坂と名前がついて、昔は小さな橋があったというのも近くにあるようですが、ここも、わかりませんでした。 困った~。でも本郷通りを行けば、とりあえずは、東大の前に出るはずということで、この交差点を直進しました。結果Good!! かねやすも、見返り坂も見送りて目指すは東大一直線。なんてね。 |
PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76 ~ どっちだろう 文京区 本郷3丁目駅前 ~ |
01.Mar..2006 今日から3月でも寒い!気温が低いために天気を予報には、カサ&雪ダルマのマークが付いています。 先月撮った本郷界隈のスキャンは、まだ終わっていません。今回は、お仕事用のデジも持参してみたのですが、説明板の記録や暗い所では感度設定を変えて便利だと感じました。一応銀塩は、スキャンを終えたらまとめてみようと思っています。 さて、このカットは、東京メトロ「本郷三丁目」駅前付近です。駅の出口は、「本郷通り」と「春日通り」の二つがあります。目的の「本郷通り」側に出ました。んっ、本郷通りに出たのは良いのですが、どっちに行けばいいのかな? 地図の縮尺と目で見ている実際の光景の距離の差がピンとこない。どっちだろう。交差点の案内板を見る。あはは、こちらは反対方向でした。回れ右!これが私の本郷をゆく第一歩でした。 |
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