亜哉の2006年2月の「写真日記」

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PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 旧・菊坂町 旧・樋口一葉居宅跡   文京区 本郷 ~

28.Feb..2006
 2月も早いもので、明日から3月である。仙台にいると、春が近づいているのはなんとなくわかるが、風はまだ冷たい。梅の開花ももう少し先のようだ。
 本郷界隈を歩いていると、小路の曲がり角とかフッと甘いお香のような香りを感じる時が時々あった。花の香りとも違うし、時々、鼻をくすぐる香りだった。
 もちろん、私は、コロンを付けていないし、人とすれ違わなくても、窓が閉まっている家の側でも、時々香ってくるのである。
 まぁ、不快な香りでもないし、誰かと一緒にいるような感じで2日間感じていた。daddyさん、曰く、ばあさんの匂いじゃないの?そうかもしれないね。とまた歩いた。

PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 菊坂 比留間青果店&旧・伊勢屋質店 文京区 本郷 ~

27.Feb..2006
 五千円札になった「樋口一葉」、私は、あの縞々お札の一葉さんは好きではありません。偽造防止なのか知りませんが、もうちょっと、かわいい一葉さんに出来なかったものかと思います。
 文京区のキャラクターは、かわいい一葉さんなのですが、旧・菊坂町に住んでいたときは、この質屋さんに通い詰めだったそうで、洗濯を請け負ったりしながら、作品を書いていたようです。旧宅跡前にある井戸を、一葉さんが使っていたかも?といわれていますが、私は使っていたと思います。
 本郷界隈といえば、文豪の街と言われていますが、JFCのメンバーにとっては、daddyさんのお仕事場であり、拠点です。私のにわか予備知識とdaddyさんの正しい解説で有意義な時を過ごすことができました。
 この青果店もいい味をだしていますね。お隣の旧・伊勢屋質店は、オープン・スタジオになっているそうで、土曜日は、外で撮影が行われていました。おジャマしちゃ悪いと思って、ぐるりと小路を迂回しました。ゼーゼー、良い運動になりました・笑。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 春ですね         文京区 湯島天神 ~

26.Feb..2006
 24、25両日、本郷界隈へ出かけた。東京へは、日帰りが多いので、今回は、純日本風・修学旅行&受験生御用達の鳳明館へ1泊。本館・台町別館、森川別館とあるが、東大の受験日と重なっていたため、森川別館へ・・・。お部屋では、の~んびりしていました。
 昨日の朝のテレビでは、荒川選手の金メダル・・姉○建築士、ヒュー○ーの小○社長の宮城県出身コンビで、とかく宮城県か~という、暗~い話題の中で、やっと明るい話題。パチパチ拍手喝采。
 湯島の梅は、ちょっと早かったです。後1~2週間後が見頃かもしれません。でも、凄い人、合格祈願の絵馬の数もすご~い。絵馬×初穂料・・なんてことは不謹慎なのですが、おもわず、唸ってしまいました。
 モノクロは、さきほど、現像が終わって、乾燥中・・・。 

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 面影の残る道        宮城野区 元寺小路 ~



23.Feb..2006
 赤で書いた原町本通りから、160°曲がって緑線の鉄砲町が伸びていく。その鉄砲町は、黄の元寺小路につながり、東北本線で一旦途切れて先へ伸びていく。
 鉄砲町の南側に、ほぼ平行して伸びる空色で書いた二十人町があり、ピンクの名掛丁につながる。名掛丁から、仙台城大手門までは、一直線の道になる。
 21日UPのトマソン橋は、赤の破線の円内にあり、ブルーの東六番丁が東北本線で途切れているために作られた橋です。
 写真は、赤丸付近の元寺小路、まだ家並みが少し残っている。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 土の匂い 昭和の匂い    宮城野区 元寺小路 ~

22.Feb..2006
 街中の残る、土の匂い、長屋、井戸、ゴミ箱・・・そこに昭和があった。 仙台駅の西側。東北本線によって、東と西にわけられ、西側はすさまじい勢いで発展し、取り残されたかのような東側・・しかし、それは、昭和のよき時代の人情をそのまま残した。戦後、忘れ去ったモノを、静かに残している街、元寺小路。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ トマソン橋        宮城野区 元寺小路 ~

21.Feb..2006
 隣に写っているのが、現在の国道45号線の跨線橋でありますが、手前に小さな跨線橋の橋脚の部分が今も残っています。
 この残された橋脚へ行くには・・・どこからも行けません。マンション側からは、高い塀の裏側・・国道からは、橋へ降りる小さな石段も残っていますが、やはり、行けません。
 反対側は、というと新幹線高架下のJRの業務用駐車場になっていますが、ここかな?橋脚があった場所は?かろうじてわかります。
 現在の元寺小路は、仙台開府以前は寺町があり、寛永年間に寺院の一部が八ツ塚(つつじが岡)、新寺小路へ移りました。仙台駅の東側の元寺小路一体は、寛永年間以前の古い墓地があったため、人骨が出てくることもあるということです。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 窓の洒落た家         宮城野区 元寺小路 ~

19.Feb..2006
 住所は、元寺小路となっているが、元寺小路の東外れにあたる。エックス橋の仙台駅の東側(駅裏)、小田原車通りと交差する三角形の部分のところである。
 鉄砲町と二十人町がエックス橋の上で一つになるが、その三角形の部分と言った方がわかりやすいかもしれない。
 ここも、東口再開発の区間に入っている。家々が解体されてX橋にとりつく道路の様子が現在は見えているが、その三角の部分に、木造二階建ての大きな建物がある。
 いままでは、気にもとめなかったが、駐車場側から撮ってみた。当時のままの窓飾りがシャレた感じがした。庭の部分は、おそらく井戸だと思うが、降った雪に足跡がないことから、人は住んでいないのかもしれないが、しかし、窓越しに生活道具があるので、建物の一部はまだ使われているのかもしれない。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 鉄砲町 名掛丁側から       宮城野区 名掛丁 ~

16.Feb..2006
 鉄砲町の通りは、2002年に撮したが、更に何も無くなっている。その時のカットと比べると、この昭和45年製の角形信号機((株)京三信号機)だけが変わっていないことがわかる。この信号機も、いずれ無くなってしまうのだろう。
 仙台空襲があっても、鉄砲町は焼けなかったが、これほどまで更地になると、感情すら失ってしまいそうになる。「見てくれ。街がどう変わっていくのか」去った人々の無念さが伝わってきそうにもなる。
 鉄砲町も、また撮らねばと・・・しかし、この道は、週2回は通っている道なのだ。己の目玉が更地に慣らされてきているなと感じつつ4年が過ぎているのが現実なのだ。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 鉄砲町入り口     宮城野区 鉄砲町1番地 ~

15.Feb..2006
 「原町本通り」から、45号線を渡ると、鉄砲町が見えてくる。文章で書くと、このつながりをどう表現するか難しいところです。
 鉄砲町から、仙台城下になりますが、実は、原町本通りから、一直線の道ではないのです。お城が真っ正面に見えないように原町から入ってくる道に角度をつけて曲げて城下に入る道を仙台藩は造ったのであります。
 現在の45号線が右へカーブしていますが、左の道が鉄砲町の通りです。45号線のこのあたりの緩いS字になっている部分は、旧道の一部を利用しているようです。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 原町本通り入り口     宮城野区 原町1丁目 ~

14.Feb..2006
 昨日、UPした旧・バイク屋さんは、45号線から見るとこのように見える。まるで茅葺きの屋根のように見えて?目立ちます。左側への道が、原町本通りであります。
 最近、官公庁へメールを書いて教えてもらっているが、昨日は、仙台市建設局道路部道路計画課のS氏から電話を頂いた。この原町本通りは、「市道原町本通り線」というのが、正式名称であり、総延長は、1380mということであった。実は、車両の速度ダウンの施策について、いつ頃かを聞きたかったのだが、コミニティ道路として位置づけて工事を行ったということであり、何年の施行か、丁寧に教えて頂いた。一番うれしかったのは、「私もあの辺に(住んで)いたので・・」という言葉であった。親近感がわいてきた。
 公文書館の方からも、いろいろと史料を検索していただいたりした。
こうなると、また深入りしちゃいそうです。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 凄いね         宮城野区 原町1丁目 ~

13.Feb..2006
 じっくり歩いてみようと、原町3丁目を、9時頃に歩いてみた。10時ころには、店をあける準備で、こちらが観察される感じであった・・笑。 旧・東海林米穀店の向かい。しもたやというより廃屋になっている店がある。バイク屋さんの店なのだが、いつ頃店を閉めたか記憶にないが、以前は、バイクが店の前に並べてあった。どこかに移転したのかもしれない。この建物もかなり古いものなのだが、隣にビルが建って、切妻の家の先だけが残っている。ボロボロになったブルーシートが痛々しい。

NIKON FG /Ai 35mm F2.0/ PRESTO/ D76



~ このお店は?     宮城野区 原町1丁目 ~

12.Feb..2006
 東海林米穀店の斜め向かい。しもたやになっているが、何屋さん、だったんだろう?思い出せない。腐食の進んだアルミのプレートに「MEMBER OF SENDAI CHAMBER OF COMMERCE AND INDUSTRY 仙臺商工會議所會員」と書いてある。 原町は、戦災により焼失をまぬがれ、多くの職人が店を構え住んでいた街である。
 この建物も、戦前・戦中・戦後を生き抜いてきた建物であることは予想が付く。住宅地図で調べてみようと思う。
 こうした古い建物でも、近くの旧・歩兵四連隊の跡に建っている東北歴史民俗資料館が東北建築家協会保存部会に調査を依頼している建物もあるようだ。古いモノを大切にする仙台市民の一人でありたいと思う。

NIKON FG /Ai 35mm F2.0/ PRESTO/ D76



~ 原町本通り鉄砲町側     宮城野区 原町1丁目 ~

11.Feb..2006
 原町本通りのもう一方の入り口、車両は、こちら側から入ってくることになる。右側の建物が、昨日UPした東海林米穀店であります。正面が国道45号線、原町本通りと鉄砲町を斜めに横切っている。
 右側の看板のとりついている電柱と左側にマンションの間にあるのが鉄砲町の通りである。鉄砲町からどこまでも一直線にすすめば、仙台城大手門に出る。
 そして、やや左に見えるビルが宮城県第4合同庁舎である。と同時に仙台藩「原町御米蔵」があった場所なのであります。

PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 東海林米穀店        宮城野区 原町1丁目 ~

10.Feb..2006
 原町1丁目の入り口、いよいよ、「原町御米蔵」跡に近づいている。
店舗側の歩道を歩いていたが、あれっ、と思った。雨戸が閉ざされているからである。
 道路を渡って、反対側から全体を見てみた。やっぱりここが原町本通りの目印になっていた東海林米穀店なのである。かつては、2階に従業員が寝泊まりしていたといわれている建物で、100年前に建てられたというから、明治27年あたりだろうか。
 定休日なのか?しもたやになってしまったのか?静かすぎるのである。そういえば、高校の時の同級生のお兄さんもこのあたりで板金店を営んでいたはずだが、店が見あたらない。
 寂しさがこみ上げてくる。原町入り口であった。

PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ シラサワ自転車店      宮城野区 原町1丁目 ~

09.Feb..2006
 原町1丁目になると、ビルやマンションが目につき始めるが、がんばっている自転車店がある。
 一般車中心であるが、もちろんスポーツ車もOK。自転車も大手販売店が低価格で大量の品揃えの店もあるため、小さな自転車店は大変である。自転車店からすれば、大量生産品は、やはり保ちが悪い。中には、ひどい物もあるということだ。
 昔は、歩いて自転車店に行って帰るときに押して来て、その次の日から自転車乗りの猛練習だったが、今では、車で行って帰りは、配達してもらって・・・買い方も変わってしまった。

NIKON FG /Ai 35mm F2.0/ PRESTO/ D76



~ 安附表具店            仙台市 原町 ~

08.Feb..2006
 建物は、昭和初期の安附表具店。ここの、ご店主は、一昨年で90歳を越えたとのことである。すると私が小学校のとき、掛け軸が、かけてあった店内で仕事をしていたあの「おじさん」が、現役で仕事をしていたということになる。おじさん、がんばっていたんだなぁ~。
 でも、隣って駐車場だったかな?2階の出窓の手すりの飾りいい感じだなぁと、思いながら撮ったカット。現像して、あの表具屋さんだったんだと思い出した。今度は、正面から撮ってみたい。

NIKON FG /Ai 35mm F2.0/ PRESTO/ D76



~ 八嶋薪炭店               仙台市 原町 ~

07.Feb..2006
 建物は、明治初期のものだという、更に、戦前は、飴屋を営んでいて、戦後は「薪炭店」を営んでいる。現在は、灯油などを扱っているが、「燃料店」とせずに「薪炭店」の名前は、そのまま残してある。
 原町には、昭和初期の建物、明治20年代の建物がそのまま残っている。

NIKON FG /Ai 35mm F2.0/ PRESTO/ D76



~ 小路               仙台市 原町 ~

05.Feb..2006
 ひさしがついて小路が続いている。京都の町なら、珍しくもないが、原町にもあった。ちょっと驚いた。
 若き日の幸田露伴もこの町を訪れている。明治20年の頃だが「突貫紀行」でふれている。「宮城野さえくえぬ身のはらのへるのを何と仙台」。
 私も、午前中から歩いてお昼を過ぎてしまった。もう少し、歩いて撮り続けたいけど、腹がへってきた。なんとするんだ!なんとするんだ=なんとせんだい!である。
 原町と書いて「はらのまち」と呼ぶ駅名には「陸前原ノ町」と「ノ」が入る。

PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 母校        仙台市立原町小学校 原町 ~

04.Feb..2006
 こんなに大きかったかな?あれ、柿の木がない。我が母校ながら、、他の小学校に来ているみたい。そんな感じがした。
 校庭の真ん中に、1本の柿の木があって、渋柿だったけどね。6年生だけ秋の給食に、渋抜きされて出されたんだっけ。6年生の特権だったなぁ。樹齢130年の柿の木は、台風で折れたそうです。会いたかったなぁ。
 もとは、木造だけど、火事で焼けて全校児童が近くの使われてない学校の教室や近くの学校に分散し授業がされたんでした。私は、宮城野中学校の旧・仙台工業の校舎へ・・・、そして、後に、仙台工業へ入学。
 この学校が、建設中の児童達は、どこで授業を受けたかというと、私の職場があった。旧・原町電車区の跡地に仮校舎が立っていたんです。
 縁というのは、不思議なものですね。左側の女の子が近づいて来て、私を見ていました。なぜか懐かしい気になりました。まともな影がでているので、柿の木の妖精ではないようです・・笑。

PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 太平洋センター裏手       仙台市 苦竹 ~

03.Feb..2006
 飲屋街の苦竹小路を撮っているうちに、太平洋センターの裏側に出た。後には、廃屋、ビルには、ツタが絡んでいる。
 1階は、大きなシャッターが締まっていたが、大手居酒屋チェーンも営業していたときがあった。
 裏側を見ると、2階の美容室だけが営業しているのかな?とも思う。宅急便が荷物を持っていったので、廃ビルにはなっていないようだ。 しかし、すごい荒れ方だと思う。非常階段は、まだ歩けるのだろうか?

PENTAX Super A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ R45塩竃方向を望む         仙台市 苦竹 ~

01.Feb..2006
 JR仙石線・苦竹駅の上りホーム上から、塩竃方向を撮っている。昭和41年1月に高架橋が完成するまで、踏切があり、列車が通る度に国道を遮断していた。
 現在、国道45号線の下り線は、ご覧のように1車線である。拡幅工事のために、今日も、バワーシャベルがせわしなくアームを動かしていた。左側の家々の取り壊しもだいぶ進んでいる。
 右側が、旧・東京第一陸軍造兵廠仙台製造所、陸上自衛隊の広大な敷地である。切れ目があるところが、衛門の場所である。
 当時の宮城電鉄が、近くにあった新田駅を廃止して、苦竹駅をつくったのも造兵廠があったからであり、造兵廠で作った、航空機関砲の弾薬輸送のための引き込み線は、手前の陸前原ノ町駅から、造兵廠の構内に入っていた。
 この引き込み線の一部は、平成3年まで旧・陸前原ノ町電車区の構内入換用に、引上線として使われていた。

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