亜哉の2006年6月の「写真日記」
亜哉が撮った6月分の「写真日記」をまとめたページです。
<< 5月の写真日記 今日の写真日記 7月の写真日記 >>
TOPに戻る

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「振り返れば」            七ヶ浜町 湊浜 ~

30.Jun..2006
 振り返るとこんな感じ、また行く?、やめとくわ~・・爆。
手前の小さな花の色は、黄色・・やっぱり別世界かな?でも、じゃれる小獅子に会えるなら、もう一度いってみっか?ついでに、宝くじ持っていってみようかな?3億円当たったらとうしよう・・爆沈。 
 ※今月は、UPの日付は、間違えたり、地べたに足が着いていない感じであlった。
 退勤時に、「あいさつをしてもらえますか」と言われた。あの「4月の思いは一生忘れない」で挨拶の締めをしようとおもったが、言っても理解できない輩と同じ土俵に立つことはないと思い「お世話様でした」で締めた。
 あまりの短さにあっけにとられたような、肩すかしを食わされたような顔が見えた。何か言ったら、それをネタにまた何かやろうとしているのかもしれない。
 このページを見て、また御忠心の点取り虫をしようと思っていても、所詮、無駄な努力であることは言うまでもない。
 振り返れば、写真と共に事実だけである。いかにねじ曲げようが写真はウソをつかない。振り返る必要は私にはない。前に向かって進むだけだ。明日は、ホタルオフ会である。大いに飲んで写真談議をしようと思う。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「戻り道」            七ヶ浜町 湊浜 ~

29.Jun..2006
 湊浜弁財天を後にして、石段を降りる。また夏草の中をかき分けて鳥居をくぐらなくっちゃ。蛇はいないだろうなぁ・・なんてね。
 こっちの世界とあっちの世界みたいな感じがします。鳥居の脇の小さな小道が舗装されている道なんですが、くぐった鳥居は、くぐって出た方がいいかな?なんて思ってしまいます。
 左側の松が切られていますが、切られる以前は、この参道を横切って松の木のトンネルになっていたようです。 

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「あはっ」            七ヶ浜町 湊浜 ~

28.Jun..2006
 湊浜弁財天の小さなお堂前の獅子さんです。怖い顔していますが、足下の小さな子獅子の仕草がかわいいですね。
 この阿像の獅子の作者は、子獅子の彫刻も手を抜いていませんね。吽像の獅子は、宝玉の上に前足を載せています。蜘蛛の巣をかき分けて滑る石段を登ってきて良かったとおもいました。
 弁天堂は、近年改修されていて、古いという感じはしませんでしたが、300年以上昔から鎮座しているのですから、致し方ないですね。
 やはり、1カット撮しておくべきでした。・・涙。 

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「よっこらしょ」               宮城野区 ~

27.Jun..2006
 今日で、今の職場が実質終わった。明日休んで、2日間環境整理、来月3日に赴任でありまする。
 ここのところ、制御卓に座れば、いろんな事象がおきて、その都度、5分以上の遅れ、まだ慣れていないのでバトンタッチ、頭いてぇ~。
 それも、今日で終わり、中の仕事、外の仕事、土砂崩壊にも遭遇した時もあるし、いろいろあった。それも、一瞬の瞬きの如しだ。
 すっきりさわやか、オロナイン軟膏・・・爆。 

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「死してなお」               宮城野区 ~

26.Jun..2006
 打ち上げられた海鳥の死骸、静かに砂に埋もれていくはずなのだが、タイヤ痕がついている。
 海鳥の死が、自然のなりゆきとしても、人工的なモノが加わると、怒りすら湧いてくる。今月の過去の写真から、写真を外した。理由は屁の突っ張りにもならない。
 某藩には、主義主張が異なる家臣団があって。その一部の家臣団が家老に進言したそうな・・御忠心なことである。逆に、家老が、藩内部の問題を知られたくなく、家臣団の仕業としているのかもしれない。 人に自害するところまで追い込み、後、数日で脱藩する者に更に表現すら奪う諸行は断じて許し難い。もしそうなら君側の奸への天誅である。
 とは、言っても現代では、天誅などくわえられるはずもなく、そんな屁にも値しない家老どものために、捕縛されるわけにはいかないのだ。無視無視、季節も蒸し蒸し、全くくだらないことと忘れまひょ~。 

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「仙台新港」               宮城野区 ~

25.Jun..2006
 久々の仙台新港です。藻や浮き球が打ち上げられていました。その中に、海鳥の死骸が紛れていました。
 どんよりした天気で、漂流物が一層暗く見えました。梅雨の中休み・・でも、光が弱いです。仕事の日は天気が良くて、休みの日は天気が悪い日が多いです・・・笑。 

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「陸続きになった島」    七ヶ浜町湊浜 弁天島  ~

24.Jun..2006
 弁天沼に着きだしているように見えていた弁天島だが、東側から見ると、なるほど島の面影が残っている。
 小さな鳥居が見えるが、湊浜弁財天の参道である。だいぶ夏草が伸びていて、えっ、ここから入るの?と思ったが、一応鳥居をくぐり、階段を上って、弁財天の祠と対面・・・・。
 参道には蜘蛛の巣がはっていたが、今度訪れる機会の可能性は限りなくゼロに近いだろうなぁ~と、手で払いのけながら撮ってきた。
  そういうときに限って撮り直しが待っているのだ~・・爆。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「台地の証」    七ヶ浜町湊浜 松ヶ浜漁港  ~

23.Jun..2006
 岩肌に大きな岩がめり込んでいる。火山れきだそうです。
湊浜が多賀城の外港より太古の昔、火山活動が活発に行われていたときのものです。岩も野の草たちと同じように名前がついていますが、カタカナ表記で覚えるまでいきません・・笑。
 こんなのを見ていると、自分の生きている時代なんて、短いなぁと思います。ものを考えるときの尺度もいろいろありますが、小さなことなど屁のつっぱりにもならないなぁ~がははと笑い飛ばしたくなりますね。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「断層の見える浜」    七ヶ浜町湊浜 松ヶ浜漁港  ~

22.Jun..2006
 昨日UPした、「松が浦島」から西に目を移すと、兜島と岬の間に旧・冠川の河口であったであろうと思われる湊浜海浜が見える。
 高い煙突は、新仙台火力発電所の煙突。
波は静かで、これなら小型の丸木舟でも海にでられる。右手前の岩肌を見ると地層がはっきりわかる。地学の課外学習に訪れる小中学校が多いのもわかる気がする。
 断層といえば、宮城県沖地震で、発生確率が日増しに増えている。このあたりも津波が発生すれば3メートルくらいの波が襲ってくるとハザードマップに記入されている。
 海辺へ出かける際は、どうしてもどこへ逃げるか気になるところだ。写真を撮りに行って三途の川を渡ったのでは、シャレにならない。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「松が浦島」      七ヶ浜町湊浜 松ヶ浜漁港  ~

21.Jun..2006
 正面に黒松が並んでいるところが「御殿崎」と呼ばれている岬です。藩政時代は、伊達家の「御仮屋」と呼ばれた現代でいう別荘があったところでもあります。
 「御殿崎」は、古くから「松が浦島」と歌枕で読まれている「鴻が崎」という岬でもあります。「国府」が訛って、「鴻」になったと言われています。言い換えれば「国府の岬」となるわけです。
 冠川(現・七北田川)は、岩切を通り、現在の多賀城駅の側の八幡地区を流れ、現在の七ヶ浜町の湊浜に河口がありました。そして、同時に陸奥国府多賀城の前には、市川の流れがあり、冠川とつながっていました。
 近年、城外の古代河川跡の「市川橋遺跡」の川底から、古墳時代後期の丸木舟(前長5.2m、最大幅65㎝)のほぼ全体形が出土し、水運が発達していたことが証明されました。この松が浜漁港から西側の湊浜地区は、冠川の河口湊であり多賀城の外港であったわけです。

EOS-1n /EF50mm F1.4 /PRESTO /D76



~ 「弁天沼」           七ヶ浜町 湊浜  ~

20.Jun..2006
 七北田川の河口の付け替えが行われる藩政時代以前は、:現在の七ヶ浜町湊浜に河口がありました。
 正面の森が沼に突きだしたようにみえるのが、かつての弁天島で現在は陸続きとなっています。
 この弁天沼、七北田川の名残であり、河跡湖になったものです。弁財天が島に祀られているため弁天島、そしてこの河跡湖が弁天沼とよばれています。
 弁天沼の先には、湊浜緑地公園があり、その先は砂浜になり、トライアスロン大会が毎年行われいる海になります。
 潮の香りがする静かな場所ですが、このあたりから、松ヶ浜までは有名な心霊スポットで、太陽が西へ傾く頃は、絶対に行きたくない場所です。

PENTAX SUPER A /M28mm F2.8 /PRESTO /D76



~ 「金研横丁」          青葉区 片平 ~

16.Jun..2006
 「金研横丁」、金属材料研究所、略して「金研」前の横丁ということで呼ばれています。正式には、市道○○線というのでしょうが、金研横丁と呼ばれています。
 片平キャンパス正門から抜ける弾正横丁が廃道になって、明治になってつくられたのがこの通りで、弾正横丁とも呼ばれています。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「華僑会館」          青葉区 北目町 ~

15.Jun..2006
 昭和35年には、この場所に建っていた華僑会館です。いつごろからこの場所に建っているのかはわかりませんが、右側の茶色のビルとの間を進むと、何度か角を曲がりますが東北大学片平キャンパスへ抜けます。
 そういえば、片平キャンパスへも撮り直しをする写真がありました。ゴタゴタで、ちょっとさぼっています。
 2年後に、宮城県のディスネーションキャンペーンが始まるようです。遠くから訪れる人に、街道を・・・見てもらえればいいかな?なんて思ったりもしますが、キャンペーンが終わる頃に完結するかも・・・笑。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「今だから言えること」            某会社~

14.Jun..2006
 この人が座っている席が、今年の3月まで、私が仕事をしていた席です。
 4月から1ヶ月は、出勤簿にハンコ押して、何も仕事を与えられず。何の指示もなく、ただ職場内にいるだけ。名目は、「今度代わりに、仕事をする人へのフォロー」ということだったが、「代わりに仕事をする人」は、別の人へ「仕事を廻す」ということをしていたから、フォローでも何でもなく、単なる仕事を与えない=嫌がらせと同じレベルのものでした。マスコミを賑わした「日勤教育」以下の扱い。1ヶ月間無視され続けたのでした。ミスをしたからでもなく、「会社の施策による担務指定の変更」でしたが、やってくれましたね。一生涯忘れませんよ。
 私の選択肢は、会社を辞めるか、自死するか、転職するかの選択肢しかありませんでしたから。一日何も無かったように退勤まで時間が過ぎるのを待つだけでした。
 そうした毎日の苦痛から救ってくれたのが、写真であり、毎日カキコしてくれたみなさんでした。もし何もしていなかったら、今頃は、生きていなかったでしょうね。
 そして、転職するまでの間、5月から、昨日UPしたモニター前での仕事をしているわけです。
 やっと、こんな形でも書けるようになりました。もう書かないと思いますが、こんなことまでされて、職場に残る気はしません。それが転職の一番の理由です。

PENTACON PENTI-Ⅱ /Meyer-Optik, Gorlitz Domiplan
F3.5 30mm /PRESTO /D76



~ 「MUGI MUGI」      宮城野区 田子 ~

08.Jun..2006
 3日に、叔父が亡くなって、親父の替わりに、5日通夜、6日告別式と県北へ行ってきた。
 昨年の4月の町村合併で、栗原郡の10町村が一つになって栗原市になったが人口は、8万人くらいになったようだ。
 親父の実家のある町、伊豆沼とかそんなイメージしか今まではなかったが、斎場への移動や寺の移動時に見える光景に、道の両側に残っている一里塚や、戦国時代の留守氏の館跡、近代では、軽便鉄道の仙北鉄道があって、登米まで続いて、当時の駅舎がバスの待合所に使われているとか、そんな歴史の匂いが漂ってくる町なんだと気づいた。見方を変えると別なことが見えてくる。つくづくそう思う。
 来月1日から、関連会社へ転身する。これも、見方をかえて選んだ道である。 

PENTACON PENTI-Ⅱ /Meyer-Optik, Gorlitz Domiplan
F3.5 30mm /PRESTO /D76



~ 「PENTI 2」      宮城野区 田子 ~

07.Jun..2006
 レンズ清掃とピント調整後の試写、本来なら、もっとトーンが出て良いはずと思うが、まぁ、良いでしょう。←自分で納得!。
 現像液も、ちょっとバテ気味みたいです。 

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「飛び出す絵本」          文京区 本郷 ~

06.Jun..2006
 こちらは、友人様でしゅ。昔は危なかったかも・・・。
ストロボの影がなければ、飛び出す絵本みたいになったかも・・・。

PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6



~ 「アブネー奴」          文京区 本郷 ~

05.Jun..2006
 がっはっは、そのまんま、アブネー奴でしゅ~。da様の作品です。
こんな格好で歩いていたんだから、本郷界隈のみなさま、大変失礼しました~。

EOS-1n /EF35mm F2.0 /PRESTO /D76



~ 「おいしい金魚」          文京区 本郷 ~

04.Jun..2006
 「おいしい・・金魚をどうぞ」、えっ~なんじゃ~。モノクロで見ると「珈琲 金魚坂 おいしい珈琲をどうぞ」と読めるんですが、目立つ文字を私の目ん玉が勝手に泳いでしまうのです。
 「金魚坂」の文字が、読めないんです。なんて書いてあんだろう~、金魚か?おいしい・・おいしい金魚料理かぁ~・・それで、おいしい金魚と私は読んでしまったのです。そんなアホな~!!でも事実!!
 どういう頭の構造しているんでしょうね。これに似た例が「春巻」・・なに「売春」・・・に見えるときも、アブネー奴。
 そのときの一瞬目に入った文字と、一瞬の別のことが、一緒に頭をよぎる~アブネーなぁ~。耳も同じ、アブネーなぁ~。

RICOH AUTO SHOT /RIKENON 35mm F2.8 /ACROS /D76



~ 「廃棄品」          宮城野区 ~

03.Jun..2006
 作らせるときは、「材料は、銀行振り込みでなければ買ってくるな」などと制約がいろいろあって、苦労して作られたものが、無造作に廃棄されている。
 焼きそば屋台用の鉄板などもそうである。厚みのある鉄板を、なまして叩いて、ソースがこぼれないような工夫をした。そうしたものが、簡単に捨てられている。
 今度は、つくれといわれても、ガスや電気溶接で物を創り出した先輩達はいない。物があふれて金さえ出せば買えるが、金をかけないで物をつくりだすのは、大変だ。
 自分たちがやらないで、音頭取り気取りでラッパを吹き鳴らす。廃棄物の山は、そうした怠惰の象徴に見えてくる。未来はないなぁ~。

RICOH AUTO SHOT /RIKENON 35mm F2.8
/ACROS /D76



~ 「北目ガード」          青葉区 五橋 ~

02.Jun..2006
 麦を試写して、支社へ行って、帰りに、街中を試写、ノーファインダーで片手でパシャパシャ・・まったくいい加減。ブレはあるが、まぁ試写はOKにしまひょ。
 この交差点、昔は、「六道の辻」と言ったという場所なんですが、交通情報でも「北目ガード付近」の方が完全に一般的です。
 六道って、6本も道がないし~。線路はあるし~で、どこが六道だぁ~。堀があって線路もない時代の話ですから、今時の光景とあまりにもかけ離れているので、知らない人が多いのは当たり前です。
 では五橋1丁目といったら、やはり、ピンときません。北目ガードがわかりやすいですね。 

RICOH AUTO SHOT /RIKENON 35mm F2.8
/ACROS /D76




~ 「MUGI」          宮城野区 田子 ~

01.Jun..2006
 通勤途中の田んぼが少し色づいている。なんか変だなぁとおもっていたら、ムギの穂が風に揺れていた。
 去年まで、稲が植えてあった田圃に、転作の麦が植えてあったことに気づいた。毎日見ていて気づかなかったのだ~。
 先日、なおしたリコーオートショットの試写をしてみた。 

<< 5月の写真日記 今日の写真日記 7月の写真日記 >>
TOPに戻る