亜哉が撮った4月分の「写真日記」をまとめたページです。 |
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Malcaflex /Hopinor 7.5cm F3.5 /SHD-100 /D76 ~ 「 随身門 」 鹽竈神社 ~ |
29.Apr.2007 鹽竈神社の随身門です。急な石段の上に建っているので、広角レンズのお世話になるところですが・・・笑。 狭いし、急勾配だし、二眼レフだし・・で、足場の確実な、流鏑馬をする広くなっているところから撮りました・・一応階段も下りてみたけど後ろ向きはかなり怖いです。 MAMIYAFLEX JUNIOR と MALCAFLEXを交互にUPしてきましたが、今日のは、マルカフレックス、明後日後1枚UPして、ネタ切れ・・涙 このカメラ右側にピントノブと巻き上げノブが付いていまして、赤窓式なので、手探りで回すと、あっフィルム送っちゃった~となります。 |
MAMIYAFLEX Jr /NEOCON 7.5cm F3.5 /SHD-100 /D76 ~ 「 サクラ・サクラ 」 鹽竈神社 ~ |
28.Apr.2007 今日のUP分は、24日撮ったMAMIYAFLEX JUNIOR ・・鹽竈神社の唐門手前から志波彦神社へ向かう最短ルートの場所です。右側には、塩竈桜があるんですが、この時は、やっと二輪の花が咲き始め~でした。 こちらへ向かってくる女性・・博物館前の茶屋でも会いました・・笑。 |
Malcaflex /Hopinor 7.5cm F3.5 /SHD-100 /D76 ~ 「 月と桜とご神木 」 鹽竈神社 ~ |
27.Apr.2007 今日の分は、マルカフレックス・・・手前の石灯籠から遠景まで欲張って入れてみました。 本来なら、パンフォーカスで撮るか、石灯籠をビシッと撮りたいところなのですが、なにせ、スリガラスのピントグラスは見え難く、輝度差が有る分、見えているのは明るいところ・・笑。どんな描写になるか現像してのお楽しみで撮った1枚なのです。 撮った本人は、なぁるほどねぇ~ボツにするのも、もったいないかな?失敗してもいいじゃないか~気分なの気分が大事~な~んてね。 |
MAMIYAFLEX Jr /NEOCON 7.5cm F3.5 /SHD-100 /D76 ~ 「 時代と共に 」 志波彦神社 ~ |
26.Apr.2007 KanさんのレストアによるMAMIYAFLEX Jrであります。フィルムは、SHD-100、現像は、D76。 塩竈市の一森山にある「鹽竈神社」と「志波彦神社」・・・境内には、大きなサクラの木もあり、満開を迎えたサクラや、この江戸彼岸のように散り始めているサクラもあります。 訪れた日は、平日でありましたが、参拝に訪れる人、サクラを見に来る人、写真を撮る人などで、結構な人出がありました。 時代と共に世の中を見続けてきたサクラ、時代と共に生きてきた背中が重なったような気がしました。 |
Malcaflex /Hopinor 7.5cm F3.5 /SHD-100 /D76 ~ 「 ご神木 」 塩竈神社 ~ |
25.Apr.2007 重機ひしめく、再開発光景から、ちょっと離れたくなくなって・・24日は、塩竈神社の桜を見に行きました。 天然記念物の塩竈桜は、遅咲きとは聞いていましたが、ソメイヨシノが散り始めているのに、2つだけ咲いていました。文字で表すと「塩竈桜の花びらは、他の桜の花びらと違い花びらの枚数は35~50枚位あって花びら1枚1枚に縦じわがあり、先端は、2~5のノコギリ状になっています。花は手まり状」ということになるようです。 デジ一眼、610さんにシャッターをレストアしてもらったMalcaflex、KanさんのレストアによるMAMIYAFLEX Jr、そしてレストアしたKONICA SⅡの4台持参・・笑。 で、この杉の木をマルカフレックスで・・・テイクレンズは、HOPINOR 75mm f3.5です。ちなみにビューレンズは、HORINORです。フィルムは、SHD-100、現像はD76でやってみました。 |
PENTAX K-100D /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~ 「 ここ掘れワンワン 」 名掛丁 ~ |
24.Apr.2007 重機がここ掘れワンワンよろしく、土の中にアームを伸ばしては、何やら、ひっぱり出している。 出るわ出るわ・・・金銀財宝・・ではなく、埋設管なのです。こんなに入っていたんだぁ~、そういえば、ここら辺も、家々がびっしり建っていたんだもんなぁ~。 その住んでいる人たちの生活を支えてきた埋設管・・根っこのようにも見えるし、血管のようにも見える・・・地表だけでなく、地下の部分まで、まっさらにしちゃうんだね。再開発って! |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA 20℃ 6分 ~ 「 竹箒の想い 」 二十人町 ~ |
23.Apr.2007 かつての舗装を剥がした残骸であります。竹箒が、うち捨てられています・・ただ、それだけのことです。 舗装したのも人間、剥がしたのも人間、あらたに舗装するのも人間。ただ、それだけのことです。 古い街並みがなくなり、あたらしい街ができる。ただ、それだけのことです。竹箒から見れば、ただそれだけのことです。 |
PENTAX K-100D /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~ 「 名掛丁へ 」 二十人町・車町交差点 ~ |
22.Apr.2007 二十人町の通りがこの小さな交差点で終わって、名掛丁の通りに入っていくのですが、元の通りがどうなっていたかわらなくなってきています。 ここから先は、工事中のため入れませんが手前のマンホールの回りに赤レンガの欠片が見えています。マンホールの周りを赤レンガで組んであったようです。 左側の黒いビルもいよいよ完成・・このビルが建つ前は、木造の店舗や住宅が線路脇の東六番丁通りまで続いていた名掛丁の通りです。並行して走る鉄砲町の通りも、元寺小路へ続いて行きましたが、この界隈も毎日少しづつ変わってきています。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA 20℃ 6分 ~ 「 消えた於多福横丁 」 二十人町 ~ |
21.Apr.2007 SCRさんのPC-TEAで18日撮ってきた分を20℃6分で現像してみました。前回の現像よりは、うすいネガができました。 またまた於多福横丁です。19日にUPした写真では、路側帯表示の白線だけをみれば、なんとなく横丁が残っているように見えましたが、現実は、残念ながら鉄砲町へは続いていません・・消滅です。 一方通行の標識が倒れていますが、再開発の区画整理中も仮の道路は数回変わっています。今、ガードレールがついている坂道も最終的には無くなるのかもしれません。鉄砲町と二十人町の高低差をなくすために盛り土がされ、宅地、道路ができています。 かつては、車の通行もかなりあった二十人町ですが、車もまばら・・いたがき本店は、ここが店舗ですが、倉庫はちょっと離れたところにありますから、支店への配送の影響はあまりないのかもしれません。 |
PENTAX K-100D /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~ 「 2007年の沼田種苗店 」 二十人町 ~ |
20.Apr.2007 二十人町の通りは、二十人町の直線道路とエックス橋の取り付け道路の交差部、車町の交差点までが、二十人町でしたが、現在は、まるでこの東八番丁の交差点から二十人町が始まるような感じにかわってしまいました。 明治20年創業の沼田種苗店の蔵造りの店舗です。私はこの建物も好きなんです。手前のブロック塀が無粋ですけどね・・笑。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 旧街並みもここまで・・ 」 二十人町 ~ |
19.Apr.2007 ここも、創業明治30年の、こだわりの青果店「いたがき」本店です。建物はそう古くはないのですが、生産地明記の値札がついています。かといって、ばか高い高級店でもなくリーズナブルな価格です。 そして、隣が、昔ながらの古い店舗の明治20年創業、沼田種苗店があります。ここもまだまだお店を開けています。 いたがき本店から右へ曲がる道路の白線が残っていますが、ここが鉄砲町とつながっていた、ゆるやかな坂道の於多福(おたふく)横丁でしたが、現在の横丁は、跡形もなくなっています。更に右側の新しく並行した道は盛り土がされていますが、以前は道路のレベルで家が建ち並んでてました。このT字路は出会い頭の衝突が怖かった記憶があります。 横丁のかわりは、沼田タネ屋さんの脇に太い道路ができています。そして、その先は、二十人町の通りであったことがかろうじてわかる街路灯や電柱が一部残って変わってしまった元寺小路へ続きます。 二十人町、鉄砲町は、元寺小路側から東に向けて町割がされてきましたが、現代においても、あたらしい建物は、元寺小路側から建ってきているのも、なぜか皮肉な話ですね。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 そして・・ 」 二十人町 ~ |
18.Apr.2007 めげずに更に西へ進むと、起工式等で使うテント類を扱う「斎テント」の天幕を干している光景が見えた。 創業明治38年ずっとここで営業している老舗です。このあたりのクワ入れ式なんかも、ここの扱いなのかなぁ・・そうだとしたら、なんか複雑。 そして、その先には、数軒家並みが見えている。エックス橋ももうすぐ、新しく建ったマンション、ホテルなどが見えてきている。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 うさぎの前歯 」 二十人町 ~ |
17.Apr.2007 クランクの先の通りを進む・・これも二十人町の通りなのです。ウサギの前歯みたいに、ちょこんと数軒残っているだけ・・・このあたり軒を並べた家があったなんて想像もつかなくなっている。道路の白線だけが先に続いている・・・絶句。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 2007年の棟割長屋 」 二十人町 ~ |
16.Apr.2007 シロセ靴店の隣が佐藤蒲鉾店と以前はレコード店?だったかな?です。 今日の話題は、佐藤蒲鉾店さんの建物について、2階棟割長屋というそうです。明治期の古い商店建築の典型だそうです。 本来は、一棟なのですが、内部で二つに仕切ってある建築物になります。 ということは、明治の建築遺産になるわけですね。さて、どうなるのでしょう。 |
PENTAX Super A /A50mm F2.8 MACRO / PRESTO / D76 ~ 「 2006年のクランク 」 二十人町 ~ |
15.Apr.2007 覚えていてくださっていますか?二十人町のクランクの道です。 藩政時代の城下入口が、鉄砲町と二十人町の通りです。足軽弓鉄砲組をこの町に住まわせて、さらに、道幅を狭くしてクランクに曲げるというすんなり城下には通させないという防御への工夫ですね。 道の正面がシロセ靴店です。右側には、旧・呉服店の建物が見えています。この小さな道が明神横丁です。右へ曲がると、和光神社の脇に出ます。 2007年4月、このあたりはどうなったのでしょうか? |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 矢先神社 」 二十人町 ~ |
14.Apr.2007 新しい広い交差点に出るとモルタル2階建ての建物と裏手にコンクリートの神社風の建物が目に入った。 ひょっとしたら矢先神社かな?と思って、交差点を渡ると、やはり矢先神社・・もともとは、木造の小祠なんでしょうが、RCに建て替えられたようです。 路地のような参道右手の建物は、二十人町会館で町内の寄り合い所のような建物です。 弓の稽古を許されていたということで、建物の裏手は、やや広く、現在は駐車場のスペースになっています。 この神社も鉄砲町の和光神社と同じく寛文4年頃に町割がされてできた神社で、二十人町の氏神さまになっています。 家々が建っていたときは、この鳥居を見落とせば見過ごしてしまいましたが・・町が歯抜けになってから気づくとは・・なんか申し訳ないようなそんな気がしました。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 健在也 加藤畜産 」 二十人町 ~ |
13.Apr.2007 二十人町の通りを仙台駅方面に進む。あっ肉屋さんだぁ~。隣はビジネス旅館二十人町、ここも健在。右側には質屋さん。その先は、45号線と新寺通りを結ぶ拡幅された道路が横たわっている。 猫屋横丁の出口からここまで、とんかつ屋さん、床屋さんやまだまだ営業をしている店があった。この肉屋さんも、いつもとかわらず、○○肉100g○△円という値段の書いてある紙が下がっている。 この道の交差点の先に、あのクランクの道がある。さてどうなっているのだろうか? |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 まだまだ~ 」 二十人町 ~ |
12.Apr.2007 猫屋横丁から二十人町へ出たとこ、まだまだ街並みが残っています。 鉄砲町の再開発は、東西方向が先に着工されましたが、二十人町は南北の道路の新設と拡幅が先に着工されたために、まだ街並みが残っています・・・ |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 駿河園茶舗 」 猫屋横丁 ~ |
11.Apr.2007 鉄砲町から猫屋横丁を通って二十人町へ出てみる。この横丁に面した家々も櫛形の土地になっている。お茶屋さんの看板が見えて、そのまま前を通り過ぎて、あれっと思って振り返った。 このお茶屋さん、元いた職場へお茶を届けてくれていたお茶やさんだ。お店はここにあったんだぁ~。実直な人で、何十年と花見時期には場所取りもしてくれていたし、お盆、正月休みに入る前には、必ず挨拶がてら、職場に来てくれた。商売よりも、関わりを大事にする人だった。土地柄がそうさせていたのかなぁ。いつもスーツにネクタイ姿で、昔なら、裃、袴姿の似合う人かも・・なんて考えながら、二十人町の通りに入った。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 春風に乗って 」 鉄砲町・猫屋横丁 ~ |
10.Apr.2007 つつじが岡公園のソメイヨシノも五分咲き、シダレザクラは、まだツボミだということです・・いよいよお花見シーズンですね。 さて、鉄砲町と二十人町をつなぐ横丁が、3本あると以前に書きましたが、平提灯店の隣の平ガラス店の脇の細い小路が「猫屋横丁」です。もう1本は、和光神社の脇の明神横丁、そして、いたがき果物店脇へ出る、於多福(おたふく)横丁の3本です。 この猫屋横丁の左側は、更地になってきていますが、右側は、まだ家並みが残っています。ちょっと上りの坂道になっていますが、美容室やお茶屋さんがあります。 自転車に乗った女子中学生が私がファインダーを覗いているのに気づいて、いそいで走りすぎようとしています。撮られるのが嫌ではなく、自分が写っては悪いと思ってのことなんです。 仙台では、カメラ構えるとみんな止まるか、ごめんなさいと言ってから小走りに横切ったりするんですよ。子供の頃から、人様のカメラの前は横切ってはイケナイと教えられているんです。これも仙台人気質なのかも・・笑。 10日は、泊まり勤務なのでまた早めのUPです。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 健在也 仙台人気質 」 鉄砲町 ~ |
09.Apr.2007 春の陽差しを受けて、セトモノが光っている。鉄砲町の中で、再開発の波の中で商いをしている瀬戸物屋さんであります。 びっしり瀬戸物が並んでいる。いつもどうりで「閉店セール」なんて紙切れも貼られていません。店を閉めるときは、バッサリしめるんでしょうけど、お客もワンサカ入っているわけでもなく。ただ、いつもどうり変わらずに店をあけています。 仙台人気質って何?というと保守的というイメージが多いようですが、「伊達」の伊達と表現する人もいます。まだ、こういう人がいるんですね。店やっているからあけているんだよ。ただ、それだけだ・・という声が聞こえてきそうです。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 お茶屋さんがない 」 鉄砲町 ~ |
08.Apr.2007 7日は、午前中の会議が終わってから、歩いて元寺小路~鉄砲町~二十人町、そして元寺小路へ戻る仙台駅東口再開発地区を1周してきました。 藩政時代の名残の櫛形の土地もただの更地になってきました。鉄砲町の通りも排水溝工事で、振られたり半分削られたりだんだんと見えにくくなってきていますが、両側の更地は増えましたが、道はまだ形を保っています。 このチョイ先に、白壁土蔵造りのお茶屋さんがあって、このあたりから見えましたが、白い土蔵造りの店舗は消えています。ちょっと寂しくなりました。 瀬戸物やさんや、タイヤ屋さんは、どうなったんでしょう。つつじが丘まで歩いてみることにしました。 今日もプレスト、現像は、PC-TEAですが、時間を8′30″にしてみました。昨日よりはだいぶ良くなりましたが、まだしっくりきません。温度を下げてみようかな? |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO / PC-TEA ~ 「 PC-TEA現像 」 元寺小路 ~ |
07.Apr.2007 画面の真ん中へんに、黒い二階建ての大沼米穀店、手前の平べったい建物の、武田餅店、そこから右の方にまた二階建ての建物が見えます。もう残っているのはそのぐらいです。左側のビルの裏側も更地になっています。 絞って撮していますが、SCRさんからいただいたPC-TEA原液を50倍希釈でプレストを現像してみました。前水浴24℃1分、現像24℃で9分30秒、停止20℃1分、定着20℃5分、鮮鋭度は高いような気がします。現像時間は、SCRさんがおっしゃるように9分でも良いかなとも思いました。 PC-TEA・・ハイドロキノンを使わない環境への配慮なのですが、はじめてなので、まだコツがつかめません。また撮って現像してみます。 |
PENTAX K-100D /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~ 「 東六番丁の通り 」 名掛丁 ~ |
06.Apr.2007 明治の時代に現在の東北本線が開通し、仙台駅が出来ると、南北に走る東六番丁の通りは、寸断されてしまいました。 国道45号線ができるまで、この通りは、現在の新幹線の高架下にある橋を通ってこの場所にでて来ていました。 45号線ができると、その橋は、撤去され、現在は、マンシヨン脇とJRの敷地内に橋台のみが残されていますが、45号線から坂を下りる格好でこの場所に出てきます。 線路を東西に横断するのが宮城野橋、通称エツクス橋になります。2つの道路が橋でクロスするので、片方が名掛丁、もう片方が元寺小路になります。そんなわけで、小さな通りのこっち側あっち側で、住所の表示が変わるので、わかりにくいかもしれません。 この東六番丁の小さなガードも赤レンガでしたが、工事用車両の加重対策で、鉄板がまかれています。わたしとしては、以前の雰囲気の方が好きだったのですが。 本日、昨年より7日早く、サクラの開花宣言がだされました。春~。 |
PENTAX K-100D /smc Pentax-DA 18-55mm F3.5-5.6 ~ 「 宮城野橋 」 掃部丁 ~ |
05.Apr.2007 4日昼頃までは、ポカポカ陽気でしたが、午後からポツリポツリと雨が降り出し、夕方には、寒気団が宮城県にもかかって気温が下がり寒くなりました。 昨日UPした場所を上から撮ってみました。東北新幹線の高架があって、宮城野橋が、東北本線・仙山線を跨いでいます。 カラーだと赤錆びたガードも、こんなに錆びているの?と驚かれると思います・・・この錆びが、私にとって不安要素の一つなのです。 普通こうなるまえに塗装するはずなのですが、塗装はされていません・・どうせ架け替えるから・・そんな思惑があるのではと疑ってしまいます。 この西側のレンガアーチは、掃部丁の通りを跨いでいますが、東側にも、こんな立派なモノではありませんが、旧・東六番の通りをまたぐ小さなガードがあります。※5日は泊まり勤務なのでおやすみなさい・・いよいよ6日は、初めてのPC-TEA現像です・・ワクワク。 |
PENTAX ist-Ds /smc Pentax-DA 18-55mm
F3.5-5.6 ~ 「 宮城野橋と赤煉瓦 」 掃部丁 ~ |
04.Apr.2007 昨日UPした線路の反対側・・仙台駅西口の名掛丁側からの写真です。 赤錆びたガードがついていますが、これが「宮城野橋」・・長さ30.8m、幅7.3mの通称エックス橋です。赤レンガのアーチ橋が続いて、かつては二股に分かれていました。赤煉瓦のアーチの下の道路が掃部丁(かもんちょう)になります。 エックス橋の西側は、すでに二股に分かれる道はAERの建設に伴って無くなっています。現在、エックス橋の姿を留めているのは、このアーチ橋から東側になっていますが、この橋も将来的にはなくなる可能性があるようです。近代建築、産業遺産になり得ると私は思うのですが、おりしも、現在、市議会議員選挙運動が行われていますが、一人くらいこういうの残そうと声を張り上げる候補者はいないのかなぁ。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ ACROS(※EI400) /D76 ~ 「 石段 」 元寺小路 ~ |
03.Apr.2007 エックス橋を渡るのに築堤の道を回らなくてもいいように橋のたもとに石段が取り付いています。 この階段、ちょっと急なんですが、私もここをよく通ります。手すりは新しく付け替えられていますが、この石柱(正式にはなんて言うのでしょう)は、仙台空襲被災の写真にも写っていますから、エックス橋がつくられてから、ここにあるのです。 見慣れた石柱なのですが、あらためて見ると、よく残っていたなぁ~と思います。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 更地の井戸 」 元寺小路 ~ |
02.Apr.2007 更地に井戸跡だけが残っています。ここも路地があって、家々が並んで、この井戸も洗濯なんかには使われていたんだろうと思います。 私が、この界隈を撮り始めて3年・・・ずいぶん変わりました。ブロックに分かれているようで、その工区の工事が始まると本当に早いです。 築堤の内側に残っている家も、数軒のみ、公園になる部分が最後になるようです。 そして、鉄砲町へ続く道の西側も更地が増えてきています。RCのビルだって壊してしまいます。二十人町側もどうなっているんでしょう 気にはなりますが、身体はひとつ、折角の休みも天気が悪くては・・どうしようもありません。10年前に撮ったところもあるはずなのですが、ネガの整理をしていなかった時のもあるし、まとめるのはまだ先になります。老体にムチ打ってまた撮りま~す。 |
Eos-1n / EF35mm F2.0/ACROS(※EI400) /D76 ~ 「 大正10年の築堤 」 元寺小路 ~ |
01.Apr.2007 大正10年、東北本線の名掛丁の踏切が開かずの踏切になったことから、旧陸軍・第四連隊の意向によりできた跨線橋・・その形から通称エックス橋へ取り付く築堤です。 ここに家々が立ち並んでいたときは、この石垣は見えませんでしたが、更地になってしまうと道路の形が浮き上がります。今、エックス橋に残っているのはちょうど白い1BOXカーの後方に見える四角のビルだけです。 かつて、ここに住んでいた人達からは、この橋やこの築堤の坂にまつわる話を聞くことができました。道路から見ると平屋だけれど、下からみるとうちは2階建てだとか、それならうちは3階建てだとか・・笑。 東北本線にSLが走っていたときは、あそこはスズメまでが真っ黒だと揶揄されたとか、ダラ桶を運んだ荷馬車を曳いていた馬がSLに驚いてダラ桶が荷馬車から落ちて、坂をころがって、大変だったとか・ 戦後はパンスケ(街娼)、私が子供の頃はオカマが出るとか、女子供は夜は近づくなと言われてきた地域でしたが、住んでいる人たちにとっては、迷惑な話のようでした。そんな話をしてくれる人もいなくなってしまいました。 |
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