亜哉が撮った5月分の「写真日記」をまとめたページです。 |
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EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 しるべ石 」 塩竃市 宮町 ~ |
30.May.2007 裏坂のご紹介は、また別にしたいと思いますので、そのまま道を進みます。 ここが、塩竈神社創建時からの参拝古道といわれている七曲がり坂の入口です。ここにしるべ石が建っています。 東 なゝまが里水戸(七曲り水戸(みと))、南 御だい乃はし(おだいの橋)、北 なゝまがり坂(七曲り坂)、西御古しかけ石(おこしかけ石)と彫られています。 東側面には、「塩竈昆布所 越後屋喜三郎」、西側面には、「享保十六年龍舎辛亥(かのと・い)十月穀旦」と彫られています。塩竈の昆布などの海産物問屋の越後屋が、1731年、10月吉日にこのしるべ石を建てたということですね。 水戸は、湊=港をあらわしていますから、くねくねと蛇行した入江がこのあたりまで続いていたことがわかります。そして対岸に渡るために「おだいの橋」が架けられていたこともわかります。汐の香りかしてきそうです。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 裏坂入口 」 塩竃市 宮町 ~ |
29.May.2007 塩竈神社の参道のひとつの裏坂入口です。江戸期の庶民のための参拝道とし造られた道で、入口には、石巻稲井で産出された稲井石の石畳が続いています。 石の鳥居が見えますが、この鳥居、1908年(明治41年)仙台大町の屈指の呉服商、大内源太右衛門によって寄進されたもので、石巻の石工の作であります。縦・横、共に1本の稲井石を加工して造られています。あれ、どこかで聞いた名前と思ったら、原町本通りの「大源横丁」という道を造ったのも大内源太右衛門でした。 裏坂は、正面の階段を上がって突き当たりを、左に曲がると、緩やかな稲井石を敷き詰めた坂道になっていきます。では、突き当たりを右へ行けば勝画楼へ行きます。ということは、このあたりに芭蕉が泊まった治平衛「宿」があったことになります。特定は出来ませんがだいたいこの辺りでしょうね。 本日22時会津から帰ってきました。ちょっと時間があったので、タシカなんていうカメラで遊んできました・・後日UPします・・笑。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 矢部園茶舗倉庫 」 塩竃市 宮町 ~ |
28.May.2007 守谷種苗店の隣にも石蔵が建っていました。浦霞の大正蔵に比べれば、小さいですが、立派なお茶やさんの石蔵です。 矢部園は、地元塩竈にあるお茶やさんで、おもしろいのが、宮城県では北限とされる桃生町(ものおちょう)の茶畑で生産される茶葉でつくられている「桃生っ茶」というペットボトル入りのお茶があります。 塩竈は海沿いの街なので、湿気を嫌うお茶の保管には石蔵が、適しているようです。また3月10日に行われる塩竈神社の「帆手祭り」は、江戸時代からつづく、火伏せのまつりで、荒れ御輿が有名ですが、こうしたところからも火災が多かったのかもしれません。 塩竈市内の塩竈石を使った建築物は、醸造蔵や、商品保管庫、住宅、隣家との間の防火壁などに多く使われているようです。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 大正蔵 」 塩竃市 本町 ~ |
27.May.2007 丹六園から、塩釜神社へ向かうかつての入江沿いの街道を歩いていきます。道路の南側(本町)には、浦霞の製品倉庫として大正時代初期に建てられた「塩竈石」の「岩蔵」が見えます。 この蔵の材料となった岩石は、明治のころから塩竈市内の山から切り出されはじめ、地形が変わるくらいになると野蒜石を用いるようになったということです。 「塩竈石」も「野蒜石」も凝灰岩質の石です。それらで造られた蔵は、「岩蔵」、「石蔵」と呼ばれますが、石の産地があるところの蔵は一般的に「岩蔵」とよばれるそうです。 浦霞の看板に隠れているアーチは、この蔵の前に水路が流れていた当時の舟運に利用されたと思われます。 その水路も、現在は暗渠になって道幅が広くなりました。ただし、生活排水も流れ、水質は悪く、ヘドロ臭が漂っていた記憶があります。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 守谷種苗店 」 塩竃市 宮町 ~ |
26.May.2007 丹六園から、塩釜神社へ向かうかつての入江沿いの街道を歩いていきます。役所の付けた道路名は、県道・北浜沢乙線というそうですが、無粋な名前ですねぇ・・笑。 「たねと小鳥」の守谷種苗店の建物です。この建物もかなり古く後にファザードを付けたようであります。建築年代は?です。 土台を見ると新しいコンクリートの上に建物が載っていました。長く親しんだ家をそのまま残したいということで、家全体を上に持ち上げてずらす揚屋工法がとられたとのことでした。 現在は、油圧ジャッキであげるそうですが、昔は、ネジ式のジャッキで親方のかけ声で、1回づつネジハンドルを巻き上げてあげたそうです。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 新茶の季節 」 塩竃市 宮町 ~ |
25.May.2007 ここ、和菓子の老舗なんだよ~と言っても、お茶の道具が並んでいたお店だったよ・・・と言われます。 大きな看板もありますし、行燈も下がっているんですけどね。ウインドショッピングに慣れちゃっているのか、カタカナや活字体に慣れちゃっているのか、現代人は、並んでいる品物、次に読みやすい字から判断しちゃうのが普通なんだなぁって、古い店舗に似合わない真新しいガラスを入れて陳列するのも現代人向けの手法だとすればなんか悲しいなぁ。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 丹六園 」 塩竃市 宮町 ~ |
24.May.2007 昨日UPした写真より、もう少し寄ってみました・・交差点を歩きながらの1枚・・のんびりしていますね。 中央分離帯の工事で、なんかすっきりしませんが・・やたらと道路標識が目立つのも、塩釜の街なのかもしれません。丹六園の左後方に木々が生い茂っていますが、塩釜神社のある一森山です。勝画楼から見えていたのは、この辺りになります。 交差点の前方には、山肌にびっしり家が建っています。山全体が新興住宅地に変わっています。そんな中の一画が塩釜神社のある一森山になります。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 木造家屋が並ぶ交差点」 塩竃市 宮町 ~ |
23.May.2007 昨日の海岸通りから、壱番館の脇を進むと、大きな通りにでますがが、この辺りが、藩政時代の塩釜港になります。左側に祓川と呼ばれた入江があり、仙台藩が塩釜神社造営時の木材の運搬を船で行ったと言うことで、道幅が入江の幅と同じくらいです。芭蕉が松島へ船で向かったのもこの辺りからです。 交差点の左に見える木造家屋は、ちょっぴり塩味のきいた軟落雁に青シソの粉末を散らした「志ほがま」(しおがま)を1720年(享保5年)から作り続けている「丹六園」で茶器やセトモノも扱っているお店です。 右側の建物は、太田味噌醤油醸造元です。写真には、写っていないのですが、この木造店舗の右側が工場で昭和2年建造です。 この2軒の建築年代いつ頃なのでしょうか?函館の元町地区ならば、パンフレットが用意されてわかるのに・・・、塩竃市にも期待したいものです。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 負の遺産 」 塩竃市 海岸通り ~ |
22.May.2007 かつての賑わいは消えている海岸通り・・シャッターの開いている店舗は数軒のみ・・・地方都市に多いシャッター街になっている。 駅が少し移動しただけだが、人の流れも変わった。魚市場も一駅隣の東塩釜駅の先に移転した。塩釜神社へ観光で訪れる人も、車で、さっと来てさっと帰る。 大型店が出来ても、人の流れは戻らなかった。また、あらたな大型店が開店するが、どうなるんだろう。今日までの負の遺産の集大成がこの商店街なのかもしれない。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 旧・本塩釜駅跡 」 塩竃市 海岸通り ~ |
21.May.2007 塩竈の町屋がつづく本町(もとまち)から、仙石線、旧本塩釜駅へ歩いてみます。 ちょうど、正面の「壱番館」が仙石線の旧線の駅舎があったところであります。建物の左側は、旧来の道で、右側は埋め立てられたり道路の拡幅もされた道でありますが、私の記憶からもだんだん、昔はどうだったっけ?なんて考え込む街並みになってしまいました。 かつての駅前は、水路が脇を通って、台風などがあれば冠水し、潮の香りというより、ヘドロと潮が混じったむせ返る匂いがしていました。 この道も、仙石線で分断され線路に沿った細い一方通行になる、変則交差点で、走りにくく、クラクションがビービーならされる若葉マークの車は近づきたくない通りでした。・・笑。 ここから、右へ行くと、通りの両側がアーケードになって、昭和60年代頃は、もっとも賑わっていた海岸通りになります。塩竈の発展の象徴的なはずの壱番館が時代の分かれ目にさえ見えてきてしまいます。 |
PENTAX SUPER A / M28mm F2.8/ PRESTO /D76 ~ 「 佐浦醸造 」 塩竃市 本町 ~ |
20.May.2007 塩竈の造り酒屋の「(株)佐浦」が清酒「浦霞」の醸造元の商号ですが、造り酒屋さんの名前って、「浦霞」でも「佐浦さん」でも通用します。創業享保9年で、「享保蔵」「大正蔵」と名前のついている蔵もあり、訪れた日は、あいにくの休業日でしたので、建築年代等は聞くことができませんでした。 手前の黒い木造店舗そして、隣の醸造蔵、店舗前がT字路になっていますが、45号線の旭町交差点から入って、市役所前を抜けて行くと車のフロントガラスの視界にドーンとひろがります。OH!URAKASUMIって感じです・・笑。 「浦霞」もこちらでは、ウラガスミという人が多いのですが、「ウラカスミ」が本当の呼び名です・・訛っちゃうのです。 本町界隈で一番大きな建物です・・あっ、本町・・みなさんは、どう読みましたか?「ほんちょう」「ほんまち」「もとまち」、塩竈は、「もとまち」と呼ばれます。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 本町をゆく 」 塩竃市 本町 ~ |
19.May.2007 「松亀園」というお茶屋さんがあります。その隣には、「衛生堂薬局」・・向かいには、「御釜神社」があります。本町界隈で私が一番好きな場所でもあります。 「松亀園」の建物は、江戸末期の建物、そして、隣の「衛生堂薬局」の建物は、昭和初期に建てられたと言うことです。資料が少ないので塩竈の近代建築をどれだけ紹介できるかわかりませんが、石蔵や大正~昭和初期の建物が塩竈には、結構残っています。 塩竃市本町は、塩竈神社や勝画楼のある一森山から、江戸期の入り江の対岸にあたる街並になります。 芭蕉が奥のほそみちで書いている「出初ニ鹽竈ノかまを見ル」とある「かま」は、御釜神社のご神体のかまの事ですが、ここまで足を伸ばしてくれる観光客は少ないようです・・ちょっと残念。ご神体も拝観できるのに・・涙。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 下から見れば 」 塩竃市 法蓮寺跡 ~ |
17.May.2007 裏側は、というと・・・なぁるほど~斜面に対して、野面積みの石垣の上に建物がつくってあるんですね~。 小屋のよう柱と板材だけに見えていたのですが、漆喰は剥がれていますが壁があって・・この建物の原形なんですね。されで、いままで残っていたことがわかります。 でも手前の柱・・地面の石から浮いているところもあって、撮っているところも斜面なので、この柱につかまりたいんですが、グラッ、ボキッなんてことになったら取り返しがつかなくなるので、ゆっくり滑らないように撮ってみました。 今度は、開口部からストロボ焚いて撮ってみたいと思っています。 |
EOS-1n / EF35mm F2.0/ PRESTO /D76 ~ 「 勝画楼 」 塩竃市 法蓮寺跡 ~ |
16.May.2007 玄関側は、さほどでもないが、建物を回ってみると、歴史的建造物というより、どこぞの小屋という感じがします。 柱も細いし・・・しかし、見上げれば出来た当時は立派なモノであったろうと想像はつきますが、このガラス戸は、古くても明治以降に付けられたものだろうと思います・・。学者先生達は、近代に手が入ると歴史的建築物の認定はしたくないんですよね~。 「勝画楼」の名前は、5代藩主・伊達吉宗によって付けられた名前でありますが、なんとかなんないのかなぁ~、もちょっと手を入れないと宮城県沖地震では倒壊するんじゃないのかなぁ~。 |
PENTAX SUPER A / M28mm F2.8/ PRESTO /D76 ~ 「 蛇いないかな? 」 塩竃市 法蓮寺跡 ~ |
14.May.2007 綺麗に切り出した石垣で組んだ八角形の基壇、後方には、荒れ果てている建物、足下は草が伸びてきている。風が強くなって木々が揺れ始めている。斜面になっているし、いやだなぁ~。蛇でもいたらどうしましょ。・・笑。 ここは、奥のほそみちで、芭蕉の泊まったお宿の近く、塩竈神社の別当寺だった法蓮寺の跡になります。なぜ跡地かは、明治の廃仏毀釈で廃寺、解体となったからです。 そして八角形の基壇は、慶応年間につくられた伊達藩の灯台の基礎部分なのですが、基礎のみの未完成で終わっているんです。完成していたら日本最古の灯台になりました。 後方の建物は、ここからの眺めが、絵にも勝る景勝地であったことから「勝画楼」と名付けられた建物で、法蓮寺の書院であり、当時の現存する建物はこれだけで、超~希少な建物なのです。藩主の塩竈神社参拝時には身を清め着替えをする今で言う休憩所に利用されていました。明治になると廃仏毀釈の中で、この書院だけは解体を逃れ、明治天皇の東北行幸の際の宿泊所にもなりました。その後は、昭和40年代まで、料亭として使われていましたが、現在は塩竈神社が管理していますが、だいぶ荒れており、内部公開もしていません。 連綿と歴史を見続けてきた一画がここにあるんですね。 |
FUJI DL-7 / 35mm F8.0 /SHD-100 /D76 ~ 「 なんとなく 」 DL-7 SHD-100 ~ |
13.May.2007 朝は曇っていたが、だんだん薄日が射してきた・・どれ、一眼2台にフジDL-7をお供にでかけるかぁ~で、塩釜市内ブラ撮りに行ってきました。中心部は、道幅が狭く一方通行が多く、車は、なかなか走りづらく、駐車場もどこにあるのかわかりづらい街です・・・しかし、これは、車で回ろうと思うからで、歩くと、なぁんだ、こんなに近くなの・・車は、かなり遠回りしていることに気づきます。歩くとなかなかおもしろい街なのです。ちょっと寂れていますが・・笑。 このあたり現在の仙石線の高架が見えていますが、かつての旧線がこの道路上にジェットコースターみたいな線路があったんではなかったかなぁ~。なんとなくそんな感じがしたところです。 |
MINOLTA SRT101 / MC TELE ROKKOR-PE 200mm F4.5 /ACROS /D76 ~ 「 親と子 」 仙台新港 ~ |
12.May.2007 午後の会議後に、時間があれば塩釜市内のブラ撮りをしようと思いましたが、夕方の光にかわっていたので中止・・明日は、曇りのち昼頃から晴れの予報なので、明日出かけることにしました。 仙台ヨ○バシに寄って、また長巻フィルムを仕入れようとレジに行くとプレスト長巻があった・・冷凍庫の空きスペースがないので、アクロスを1缶購入・・スーパーフジフックスもあったので、これも購入、行くたびにフィルムコーナーが寂しくなってくる。 私達が子供のころは、銀塩カメラが風前の灯火なんてことは考えられなかったが、この子が大きくなる頃にはカメラ事情はまた変わっているだろうなぁ。 |
PENTAX K-100D /SMC Pentax-A 50mm F2.8 macro ~ 「 千賀の浦を望む 」 志波彦神社より ~ |
11.May.2007 正面の白いシートで覆われているビルが旧ジャスコ塩釜店でありました。ジャスコカラーのマークが目立ちすぎるということで、塩釜店のジャスコマークは緑色でしたが、そのビルも現在は解体中・・・新たに、旧・塩釜埠頭駅のヤード跡地に「イオン塩釜SC」として建設、もうすぐオープンを迎えます。 塩釜は、古くから千賀の浦という歌枕の地で「塩がまの 浦ふくかぜに 霧晴て八十島かけて すめる月影」(千載集・藤原清輔朝臣)など、都人の憧れの地でありましたが、明治期に大規模な埋め立てが行われ、また近年では昭和56年に仙石線の現在の高架と共に更に埋め立て地が拡大しました。 それでも、古い醸造店や造り酒屋、看板建築等もまだ残っていますが、やはり徒歩でブラ撮りするのが一番かと・・・梅雨に入る前に歩いてみようと思っています。 |
KONICA SⅢ /HEXANON 47mm F1.9 /PRESTO /D76 ~ 「 本殿 」 鹽竈神社 ~ |
10.May.2007 また風邪をひいてしまいました。折角、お天気は良いし、休みが二つ続いたのですが・・・涙。 左に見える拝殿は、朱漆塗銅板葺入母屋造で、本殿は、素木造檜皮葺で造りがことなっています。本殿は、仙台城に向いて南向きに建っており、主祭神を祀る別宮は海を背負って建っています。 慶長、寛文、元禄と大規模な造営をしたことからも大神主としての伊達家藩主の信仰を集めていたと言えます。 古くは、陸奥国府多賀城の鬼門筋にあたり、国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして位置づけられ、武家社会になると奥州藤原氏、後には伊達家に保護されてきました。 写真の方は、背の低い石灯籠を入れて拝殿脇から本殿を撮ってみました。次回は塩釜神社から離れます。おつき合い下さりありがとうございました。フィルムスキャナーは、修理見積もりを待ちで、ネタ切れです・・号泣 |
KONICA SⅢ /HEXANON 47mm F1.9 /PRESTO /D76 ~ 「 左右宮拝殿 」 鹽竈神社 ~ |
09.May.2007 唐門を抜けると、正面にこの大きな拝殿にでます。左宮・右宮と扁額が二つ掲げられていますが、拝殿の後にある本殿が左宮本殿、右宮本殿の二つの本殿があるためです。 この拝殿前の広場になっているところには、塩竃市の有形文化財の1806年(文化6年)伊達周宗の寄進による銅鉄合製燈籠「文化燈籠」があります。 また1187年(文治3年)奥州藤原秀衡の三男、和泉三郎忠衡が寄進した「文治の燈籠」があります。赤錆びた鋳物製の灯籠ですが、平泉藤原氏の勢いが忍ばれます。 |
KONICA SⅢ /HEXANON 47mm F1.9 /PRESTO /D76 ~ 「 人・人・人 」 鹽竈神社 ~ |
08.May.2007 唐門の前に出ると、人・人・人・・拝殿の方からは、ド・ドン・ド・ドンと太鼓の音が聞こえてくる。祈祷の初穂料は、5000円からになっていたかなぁ? 祈祷してもらうときには、祈祷申し込み用紙を書きますが、家内安全から、安産祈願・・いろいろとお願い事があって、○印をつけるのですが、これとこれとこれなんて、かなり○つけたら、初穂料が高額になったらしく、巫女さんが、遠慮がちに、ご祈祷一つにつき、1件となります・・・だって・・・笑。家内安全+1件が、5000円の初穂料だそうです。 |
KONICA SⅢ /HEXANON 47mm F1.9 /PRESTO /D76 ~ 「 随身門をくぐって 」 鹽竈神社 ~ |
07.May.2007 コニカSⅢの試写を兼ねてパシャパシャ・・漆塗りの随身門をくぐると、正面に唐門、そして左側に手水舎と山片蟠桃が奉納した石灯籠があります。右側には唐門からつづく回廊に沿って塩釜桜が植えてあります。随身門の両側には、鹿の木像が奉納してあります。 塩釜神社の建造物は、随身門、唐門、拝殿、本殿共に国の重文指定になっています。建築様式は、桃山様式です。 宮城県は桃山様式建築物の宝庫といわれますが、子供の頃から見慣れていると、どこが珍しいの?どこの神社もお寺さんも、みんな同じじゃないの?他の県の神社って違うの?と思ってしまうのです。 |
MICROFLEX /MICRONAR 77.5mm F3.5 /SHD-100 /D76 ~ 「 塩釜桜 」 鹽竈神社 ~ |
06.May.2007 少し曇っていた方が、桜の花を撮るには良いのですが、ポカポカ陽気の桜もたまには良いかな?で1枚撮ってみました。 境内の塩釜桜は、昭和15年に国の天然記念物に指定されましたが、枯渇し、天然記念物の指定解除となりましたが、後継木を育てることに成功し、昭和62年に天然記念物に指定されるという経過をたどっています。(現在境内には塩釜桜が50本くらいあるようですが天然記念物には20数本のみ指定されているようです) では、どうやったのかといえば「挿し木」だそうです。サクラって挿し木できるの?ですが、製紙用材の森林造成の技術として、日本製紙が開発した二酸化炭素の濃度を高め、気温を上げた室内で人工光を当てるそうです。そうして挿し木の培地も工夫して成功したそうです。 それで納得!境内には、日本三大桜としての「山高神代桜」「根尾谷薄墨桜」「伊佐沢の久保桜」もあるんです(伊佐沢の久保桜のかわりに三春の滝桜を入れて三大桜と呼ぶ人もいますが、山形県と福島県、同じ東北だから、まぁ良いかです・・笑) また逆に塩釜桜も大阪造幣局にもありますし、全国各地で咲いているんですね。 |
MICROFLEX /MICRONAR 77.5mm F3.5 /SHD-100 /D76 ~ 「 旧・参道 七曲坂 」 鹽竈神社 ~ |
05.May.2007 鹽竈神社の参道は、車で行ける裏坂(女坂)と、202段の石段を登る表坂(男坂)がありますが、15度の傾斜で、途中から35度に変わるそうです・・兎跳びてトレーニングする高校もあるから、すごい! そして、もう一つが、未舗装の旧・参拝古道「七曲坂」があります。今日の写真が、その七曲坂・・といっても、ちょっと降りてみただけで、下まで続いています。 ウグイスの声と自分の足音のみの世界です。ガードレールもロープもありません。七曲坂を下りていくと、1731年に建てられた「しるべ石」があります。 1689年(元禄2年)に芭蕉が訪れたは、どこを通って参拝したのでしょうか?1663(寛文3年)の記録には、表坂の石段が記載されているのでさて、芭蕉は、表坂の石段か、この七曲坂か?どちらでしょう・・「石の階、九仭に重り」と「おくのほそ道」で書いているので、石段を上ったのかもしれませんね。 |
MICROFLEX /MICRONAR 77.5mm F3.5 /SHD-100 /D76 ~ 「 ちよっと、にらめっこ 」 鹽竈神社 ~ |
04.May.2007 私の二眼レフで暗部の描写が好きなカメラが、今日のマイクロフレックスなのですが、久々に連れ出しました・・笑。使ったフィルムは、SHD-100です。 アクロスだと、また雰囲気が変わりますが、最近は、SHDを使う機会が多くなっています。 後に見えるのが、唐門です。その後に、左右宮拝殿があり左宮・右宮本殿と続きます。そして、右側には別宮拝殿、別宮本殿が続きます。このように大きな神社が「東北鎮護・陸奥国一之宮」=塩釜神社なのです。 でも、こんな顔した狛犬さんがいると、なぜか身近に感じますね・・笑。 |
KONICA SⅢ /HEXANON 47mm F1.9 /PRESTO /D76 ~ 「 山片蟠桃の石灯籠 」 鹽竈神社 ~ |
03.May.2007 今日は、ポカポカの良い天気。鹽竈神社の天然記念物「塩釜桜」もそろそろ満開の頃かな?と出かけて見ました。 そして、今日こそは、司馬さんの「街道をゆく」の中に出てくる大阪出身の商人であり経済学者であり、後の仙台藩の財政再建に尽力をつくした山片蟠桃が奉納した石灯籠を探す目的もありました。 この石灯籠「長命灯籠」という名前であることは知っていましたが、花崗岩でできており、比較的新しいモノと思っていました。 観光ボランティアのおじさんがいたので訪ねると、はじめは、さて・・という感じでしたが、大阪出身の商家の出で、仙台藩の財政再建に・・というと、それなら拝殿前の手水舎の脇にあるのがそれだと思います・・と教えて頂きました。 小さなガイド板がありました「やまがたばんとう・・・」。この大きな石灯籠がそうだったのであります。 コニカS3で撮って・・・現像・・・ゲロゲロ。フィルムスキャナーでモノクロ・スキャンができない・・しぁないので、カラーモードでスキャンして、グレースケールで変換・・涙。修理にださなくっちゃ~。 |
PENTAX K-100D /SMC Pentax-A 50mm F2.8 macro ~ 「 小さなお客さん 」 えびや茶屋 ~ |
02.May.2007 鹽竈神社の境内に小さな茶屋があります。前に訪れたときは、おさんこ茶屋でしたが、今年はえびや茶屋になっていました。 建物もそのまんまで、1年ごとに交代で営業するようです。ちょっと寒いと、ミソおでんかな、どちらのお店になっても、三色だんごは美味しいです。ゴマ・アンコ・ミタラシ、お茶は、無料です。私が子供の頃は、大きな鍋に甘酒が入っていて、湯飲み茶碗で売っていましたが、最近はワンカップタイプの甘酒に変わったようです。 スズメがやってきました。私がいても驚くわけでもなく、ちょこんと留まっていました。おだんごの切れ端とか、何かもらえるのかな? |
PENTAX K-100D /SMC Pentax-A 50mm F2.8 macro ~ 「 旧・参道? 」 志波彦神社 ~ |
01.May.2007 今日から5月・・・天候、薄曇り、風は、ちょっと寒い感じ~。田んぼでは、しろかき作業が進んでいる。仙台は、5月の連休に田植えをする所が多い。田植えの時期は、田んぼに水が張られるので、気温が若干下がる。しかし、今年は、水が張られる前でもちょっと寒い・・影響が出なければ良いなと思う。 鹽竈神社への東参道(裏坂)の途中から、木立の中に、緩やかな石段が見えたので、歩いてみた。かなり薄暗いが短い距離なのでそのまま進んだ。両側に石灯籠が建っている。 志波比神社の神門前にでた。右側には、大きな稲井石がある。ここが、旧・参道なのかな?木立の中から現れたのが珍しいのか、一瞬、前にいた人達がこちらを見たが、何もなかったように、また歩き始める人、また説明板に目をやる人・・驚かせちゃってごめんちゃい。 |
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