街道をゆく ~嵯峨散歩 仙台・石巻

「貞山堀(新堀)」

 『純粋の運搬用運河として、これほど長大なものを政宗は掘り、沃土の果実を江戸に運んだのである。
 「フナはとれます。シジミ、アサリもとれます。」
と運転手さんは、いった。いまは、むろん運搬にすらつかわれていない。つまりは無用のものなのだが、宮城県がこれを観光として宣伝することなく、だまって保存につとめていることは、水や土手のうつくしさでわかる。仙台藩の後身らしく、武骨で教養のある風儀が、そのことで察せられるのである』

 と、司馬さんは、このように書いている。地元に住んでいる「仙台人」としては、複雑である。本当に「無用のもの」なのだろうか・・私は、疑問である。運搬用の運河として掘られ、運搬用として使っていない・・灌漑用にも使われていない・・故に、無用といえるのだろうか?



① 貞山堀 海岸自然林 若林区深沼地区


 私は、名取川河口の閖上から、七北田川河口の蒲生に向かって貞山堀に沿って移動している。
 この貞山堀の区域が、かつての「新堀」と言われているところである。うっそうと茂る海岸線の自然林、多くは、松が中心であるがヤマザクラも自生している。人為的に植えられた木々だけでもない。自然林保護のために車両進入禁止の措置がとられているところも多く、そのため、車での移動は効率が悪い区域でもある。



②貞山堀 深沼(Fukanuma)地区

 一方通行路のような、貞山堀の土手を走る。もうすぐ行き止まりである。立派な松並木もある。
 しかし、細い道である。センターラインが消えているだけで、自転車専用道ではないかと不安になったが、民家に車が駐車してあるので、大丈夫なのかなとも思った場所である。  



③貞山堀 深沼地区

 静かに、ゆったりと流れる貞山堀。その途中にひらかれた集落が深沼地区である。集落の外れには、赤松を中心とした海岸自然林が残っている。自然林の外側は太平洋である。深沼海水浴場がある。
 しかし、近年、ナンパを目的とした若者が集まったりと、なにかと地域住民の悩みのネタも提供しているようだ。
 人と自転車だけが渡れる小さな橋や、大小さまざまな橋が貞山堀に架かっている。
 小型船もあまり係留されていない。内水面漁業に携わっている人も少なく
ほとんどがサラリーマン、もしくは、兼業化しているということだろうか。



④ 貞山堀 七北田川河口方面を望む     深沼地区

 この地区で、貞山堀が一番ひらけているところである。
この貞山堀の「新堀」区間は、明治16年から開削された。今で言う「第3期工事」である。

 御舟入堀・木曳堀も拡幅され、この新堀が完成し、北上川から阿武隈川河口まで、舟運ネットワークが完成することになったのである。



⑤貞山堀 七北田川方面を望む     深沼地区

 集落を過ぎると、また、うっそうとした松林が迫ってくる。ウグイスや、野鳥たちのさえずりが聞こえてくる。

 壮大な舟運ネットワークも、野蒜築港の波浪による壊滅と、政府の北海道開発により、野蒜築港は、明治18年、廃港と決定し、明治20年の鉄道の開通に伴い、舟運は、衰退していくことになるのである。



⑥貞山堀 名取川方面を望む      南蒲生地区

 七北田川河口に近づいてきている。自然林が遠のき、葦を多く見かけるようになってくる。
 子供の頃、魚が釣れないと、葦の葉をとって、笹舟のように、貞山堀に流して遊んだ記憶がある。そういえば、そのころは、農家の堆肥を掘って、ミミズをとったり、蒲生の干潟でゴカイを掘ったり、釣り餌を買うなどという行為はしなかった。
 いまでは、アオイソメを買って釣りに出掛ける。このアオイソメ、韓国から仙台空港へ空輸される輸入品である。



⑦貞山堀 七北田川 南閘門(川裏ゲート)跡      南蒲生(Minami-gamo)

 人為的に、破壊したような跡があった。なんだろうと思ったが、思い出すのに、さほど時間はかからなかった。七北田川・南閘門跡ではないかと思う。
 
 私の家からは、直線にして3キロくらいだろうか。
私が小学生の頃、この場所にいくには、七北田川の和田新田近くの、渡場から、船頭さんが櫓で漕ぐ木製の和船に乗って、南蒲生側にわたり、松林と葦が生えている湿地を抜けて、貞山堀のこのへんに到達するというルートであった。カニが、ガサササと松の落ち葉の上を歩いていったり、小さなカニでも数がまとまると、はさまれるのではないかと、怖かった記憶がある。

 何をしにいくかと言えば、河口付近でのハゼ釣りであった。数年後、七北田川に橋が架かり、渡し船は廃止になったようだ。いずれにしろ、今から46年以上前の私の記憶である。
 46年前に、ここには黒く塗られた木製の(おそらくケヤキが使われていたと思うが)観音開きの扉の付いたゲートが2つ並んでいた記憶がある。

 その一つが、この場所ではないかと思う。ここから、下流の10m先あたりに、もう一つのゲート(川表ゲート)があれば、私の記憶が正しいことになる。



⑧貞山堀 七北田川 南閘門(川表ゲート)跡            南蒲生

  「街道をゆく」の中で貞山堀を司馬さんはこう書いている『南はこの荒浜付近から、北はどぎれつつも北上川河口の石巻付近まで至っている』

 阿武隈川河口の納屋地区から、一番はじめに『とぎれつつも』という場所が、ここである。同時に、新堀は、ここで終わり、御船引堀と続いていくのである。


 ここが、貞山堀(新堀)と七北田川の合流点である。私は、七北田川水門の上に立っている。先ほどの残骸は、もう一つあった川裏ゲートだと確信した。

 七北田川閘門は、貞山堀と七北田川河口の水位の差があるため船舶の通過のために設けられたものである。そのため、閘門を開けたり閉めたりする人がいた。今では、この1つのゲートしかなく、閘門の機能はなく、水位調整の役目以外果たしていない。
 
 写真正面右側に松並木、左にこんもりしとした森のように見える松林の真ん中、小舟が係留されている所、そこから貞山堀が続いていくはずであるが・・・その先の養魚場の脇を通りしばらく行くと貞山堀は姿を変える・・仙台新港の築港が昭和43年から始まったが、そのため貞山堀は現代人の手により、短い距離であるがとぎれるのである。しかし海でつながり多賀城市から七ヶ浜町、塩釜市へと続くのである。
 
 船舶航行に使われなくなった貞山堀と国際貿易港として使われていく仙台新港の変遷の記録は、私が仙台を離れている頃に大きく変わった、七北田川閘門も含めて当時の姿を自分が記録していないことは、非常に残念でもある。

 いよいよ、貞山堀の「新堀」区域も終わり、次は、対岸の七北田川河口、蒲生から、塩釜湾(千賀の浦)までの御舟入堀へ進むこととなる。


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