狭い意味での政宗が開削した「貞山堀」も、この御舟入堀で阿武隈川から塩釜湾までたどり着くことになる。御舟入堀は、現在の七北田川河口の蒲生から塩釜湾(千賀の浦)牛生地区までの区間である。七北田川と仙台新港と砂押川が関係してくるが、1600年頃の河川の付け替えがあったり、昭和43年ころからの仙台新港の築港などから、仙台新港の部分は、私は仙台を離れていた時期なので、記録はしていない。
ここでは、御舟入堀を、「その1」として七北田川合流点からの仙台新港への途中までを紹介し、塩釜湾(千賀の浦)牛生地区から仙台新港砂押川河口付近までを「その2」として紹介いたします。 |
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① 貞山堀 七北田川 突堤 仙台市宮城野区蒲生地区~
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私は、七北田川(Nanakita-gawa)と貞山堀の合流点を見ている。対岸は、七北田川閘門跡の水門である。七北田川に突堤がつきだしている。運ばれてきた砂に埋もれ、長い月日の間に石積も壊れかけている。間違いなく、ここが貞山堀(御舟入堀)との合流点なのである。 |
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②貞山堀 七北田川 河口側突堤 仙台市宮城野区蒲生地区
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御舟入堀の突堤である。ヘドロが堆積しているのである。匂いもする。水の流れが淀んでいる証拠でもある。ご覧のように、家電品の一部と思われるゴミも沈んでいる。ゴミを投棄したのは一部の人間の仕業である。ヘドロの匂いよりも、こういう人間がいるということのほうが、私は気分が悪い。 |
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③貞山堀 七北田川 水門 蒲生地区
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七北田川、突端から、わずか数十メートルの距離だが、船溜まりとしての入り江のように見えるが、貞山堀が残っている・・。中央の排水路のような小さな水門が見えるが、司馬さんが『とぎれつつも』といっているように、ここでとぎれてしまうのだろうか。 |
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④ 貞山堀 七北田川側水門 蒲生地区~
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堤防上から、フェンスが水門をぐるっと取り囲んでいる。私は、フェンスの低い部分から、身を乗り出して撮ってみた。
貞山堀がせき止められて、水の流れは、この小さな水門を通しての流れのようだということがわかる。
この小さな小さな排水路のような水門の裏側は、どうなっているのだろうか?納屋地区の阿武隈川水門の裏側のように、貞山堀は、ゆったりとした流れを見せてくれるのだろうか?
私の家から、直線にして2~3キロの場所であり、私自身、どうなっているか想像は、ついているが、このHPをご覧になっている方のために、あえて、裏側に行ってみることにした。その前に、この水門の上から見た貞山堀は、どう見えるか?フェンスの隙間から、ちょこんとレンズを出して撮ってみたい衝動にかられた。 |
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⑤貞山堀 七北田川水門から旧七北田川閘門を望む 蒲生地区
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フェンスの隙間から、撮ってみた。実は、このカットを撮るのに、ここに数回通った。フェンスでケラレたり、レンズが隙間に入らなかったり、突端が写らなかったり、ほとんどが撮す側の問題であった。
水は淀んでいるし、決して綺麗なところでもない。おそらく貞山堀を撮るとすれば、ここは外す場所かもしれない。
しかし、紛れもなく貞山堀なのである。数メートル上から見ているだけで、こんな風景が展開する。いいじゃないか。御舟入堀と七北田川の合流点である。こんなわずかの距離でも貞山堀が保存されているのだ。 |
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⑥蒲生地区 排水機場 蒲生地区
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小さな水門の裏側は、細い道路があって、立派な排水機場があった。いわゆる機関場とも言われている。洪水時には、ポンプであふれ出た雨水を汲み上げて海に排水する設備である。私の住んでいる場所も昭和61年8月と平成6年9月の集中豪雨で床下浸水が発生したが、そんなときに活躍してくれるのが、この排水機場を含めて数カ所ある。
しかし、この排水機場の建っているところが、実は、水門の裏側なのである。貞山堀のど真ん中に建っていることになる。では、この裏側に、貞山堀が流れているのだろうか。
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⑦ 排水機場裏の排水路に立つ 蒲生地区
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こんなちいさな排水路が貞山堀?ではないが、このように貞山堀の水の流れは、決して止まってはいない。
しかし、ゆったりと流れる貞山堀の姿はここにはないのである。 |
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⑧貞山堀 御舟入堀 蒲生地区
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貞山堀の現実の姿である。小さな水門の裏側の排水機場の裏手である。
納屋地区では、水門の裏側は、葦原の中をゆったりとした貞山堀の流れがあったが、ここは全く違う。ご覧の通りである。
私は今、貞山堀の真ん中に立っている。左のフェンス脇にコンクリートの排水路が通っている。ガイド板が立っていた「・・・・この付近は、当時「御舟入堀(Ofuneiri-bori)といわれ1658年(万治元年)~1673年(寛文13年)にかけて開削され、年貢米、木材等が仙北地方から仙台城下に運ばれるのに利用されました。この運河は、仙台新港の建設にともない公園として整備され、現在は、周辺の排水の機能を果たしているほか、市民の憩いの場所となっています」と、ヒビが入って読みづらいがレリーフが刻まれてある。
今で言う、「第一期工事」が、政宗晩年から、二代忠宗までの阿武隈川河口・納屋から、名取川河口・閖上までの「木曳堀」区間であり、この御舟入堀の開削は、「第2期工事」にあたるわけである。(「新堀」は、明治期に開削されているので「第3期工事」と考えて良い)
撮影をした日は、日曜日、市民の憩いの場・・・誰もいない。近くの干潟には、バードウォッチングや散策をしている人が大勢いるのに・・。約600mでも埋め立てられていることは、わかっていても、非常に複雑だ。仙台新港に行くと、見えるはずの合流地点も、石油基地の敷地内のために立ち入り禁止・・ますます、複雑だ。
仙台新港という巨大な港、そこにどのように貞山堀が通っているのか、七北田川河口からの撮影は、ここで断念せざるを得ないが、逆に、塩釜湾(千賀の浦)から、仙台新港にむけてたどってみることにする。
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